旅・旅・旅・・、(6) 「昔人の旅人:正岡子規」
旅・旅・旅・・、(6) 「昔人の旅人:正岡子規」
松蔭といい、芭蕉といい、遊女といい、徒歩での大変な辛苦の長旅である・・。
だが、気楽な気持ち(実はそうではない、既に「肺病」を患っていたのだが・・)の長道中もあったようで・・、「正岡子規」(1867-1902)のことである。
『 悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、
しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない 』・・子規
芭蕉は悲壮な覚悟を決めて出発したが、明治の子規は、いとも気楽に・・
『 みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて 』
と軽く一句捻っている。
四国の松山から東京(江戸から東京になる)へ出て、在学しながら芭蕉顔負けの秋田まで気軽に脚を延ばしているのである。
この時に、芭蕉の「奥の細道」に因んで『はて知らずの記』を残している。
「房総紀行」、「水戸紀行」、「木曽旅行」など旅の連続であったが、その後更に明治26年7月から芭蕉の足跡を辿りながら帰京するまで1ヶ月間の東北旅行を行っている。
巡った先は上野⇒白川⇒飯坂温泉⇒仙台⇒松島⇒山形⇒作並温泉⇒天童⇒最上川⇒酒田 鳥海山を見ながら吹浦⇒八郎潟⇒秋田⇒大曲⇒象潟⇒岩手・湯田温泉郷⇒黒沢尻⇒水沢 ⇒帰京
余分ながら・・、この時、山形・最上川では・・、
『 ずんずんと 夏を流すや 最上川 』
と、圧倒される勢いで流れる最上川の水量の豊かさを詠んでいる。
発想の契機は芭蕉の 『 五月雨を 集めて早し 最上川 』 にある。
元々、正岡子規は芭蕉に対する批判者として俳句界に登場したとも云われる。
子規は評論の『芭蕉雑談』の中で芭蕉の高名な俳句を次次批判したといい、芭蕉の業績を全面的に否定したわけではないが、芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要素が多く含まれており、詩としての純粋性(「深さ」、「捻り」、「切り」)が欠けていることを難じたのであった。
『 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 』
余りにも有名な句であるが・・・、
正岡子規が最後に奈良を訪れたのは明治28年10月、肺結核を病む身で郷里松山を出て上京の旅の途中で奈良を訪れている。 この時に詠んだ句である。
この後、7年に及ぶ闘病生活を過ごすことになるが、子規にとって奈良の旅が生涯最後の旅となっている。
子規の文学は、殆どが旅の体験をもとに構築されていったという。
子規の文学は、「吟行」と言われる旅の表現であり、大江健三郎は子規を称して「歩く人」と呼んだ。
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