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東北紀行(15)いわき湯本 「徳一と新興仏教」

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 東北紀行(15)いわき湯本 「徳一と新興仏教」  ,



「徳一」に関連して、東北における奈良期から平安初期における仏僧について

仏教界で大きく飛躍するのは奈良から平安にかけてで、特に、新興宗教である「真言宗」と「天台宗」が、空海と最澄という偉大な宗教家によって新風が吹き込まれるのである。 
従来は、奈良仏教と言われ「南都六宗」(法相宗・抑舎宗・三論宗・成実宗・律宗・華厳宗)が主流であったが、平城から平安に京が移ると同時に、空海と最澄が中国から新しい仏法を吹き込み、これが平安二宗と呼ばれる振興勢力であった。


その時期、「藤原徳一」というこれまた偉大な宗教家がいたということは余り意識されていないが、その南都六宗の中心にいたのが彼であった。 
当時の新興地は陸奥の国・東北地方だが、その東北地方においては、最澄は徳一に抑えられて全く手がだせなかったといわれる。

最澄は、唐の留学から帰り天台宗を唱えて、古来の奈良仏教を攻撃したとされている。 
徳一は、その最澄に反撃を加えて五カ年間にわたる理論闘争(三一権実諍論:さんいちごんじつのそうろん:仏教の解脱・成仏の条件として「生まれながらの貴族的身分」が必要か否かといった問題を巡る論争)を行い、その結果において最澄は徳一(法相宗)に勝てなかったとされている。 
最澄は徳一を折伏(しゃくふく・悪法をくじき、屈服させること)し、東北に天台宗を広めようとして、まずは関東に乗り込んできたのだが、徳一に遮られて成功しなかったという。

一方、空海は、奈良仏教の代表ともいうべき徳一とは論争をせず、むしろ尊敬の念を持って付き合おうとしたようである。 
会津において磐梯恵日寺の建立時、空海は徳一に手紙を書いている。
『 聞くなら徳一菩薩は「戒」珠玉の如く、「智」海弘澄たり、汚れを払って京を離れ、錫(しゃく)を振って東に往く。 初めて寺を建立し、衆生の耳目を開示し、大いに法螺を吹いて万類の仏種を発揮す。ああ世尊の慈月、水あれば影現ず、菩薩の同事、いづれの趣にか到らざらん。珍重珍重・・・』
 

筑波山、湯の岳、大和の三輪山、そして相模・大山の類似共通性・・?、

小生拙宅(神奈川・厚木市)の二階の窓から、丹沢山系の一つ「大山」(おおやま・1252m)が見渡せる。 山好きな小生が手軽に日帰りで行ける山であり、年に数度はトレーニング代わりに登山している山でもある。
思えばこの山も、筑波山、湯の岳、強いては大和の三輪山に類似しているのである。 
この大山も、神の山で古来より崇められ、江戸期にもなると「大山参り」といって近郷近在をはじめ遥か彼方より参詣にこられた由緒ある山なのである。

平安前期の820年頃、空海が47才の時、彼が東国を教巡していた頃、徳一大師の誘引により「大山寺」に上り、大山第三世管主となっている。
山腹の阿夫利神社の名を「石尊大権現」と名付け、徳一は、富士浅間社の神である大山祇神(オオヤマズミノカミ)を大山に勧請したとされている。 
現在は神仏分離で山腹の阿夫利神社(山頂奥宮・雨降山)と中腹に大山不動尊が配してある。


同時期、東北にはもう一人偉大な人物がいた
これが最澄の弟子といわれるのが皮肉で面白い。 慈覚大師・円仁である。 
小生が東北を巡った際もお目にかかったが、東北の北端に三霊山と称される恐山・円通寺瑞巌寺、それに中尊寺、山形市の立石寺(山寺)など、これら有名仏閣の開祖でもある。

坂上田村麿の往くところ円仁の蔭があるともいわれ、東北文化の成立に大きな役割を果たした高僧なのである。 
円仁は最澄を超え空海を超え徳一を超えたともいわれ、円仁が布教活動にもっとも力を入れたところ、それが東北地方であった。 
円仁」は、わが国が誇るべき世界の偉人であるともされている。

徳一」の偉大で、且つ特異さは貴族の出でありながら、それまでの貴族中心の布教に対し、民衆に接しての救済を熱心に努めた大人物であった。
その徳一が開祖した「いわき湯本の長谷寺」は、2007年(平成19年)で丁度、開建1200年の記念の年に当たる。 
御年にあたり盛大に開祖法要がなされたという。

次回、「二本松へ



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東北紀行(14)いわき湯本 「長谷寺」

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 東北紀行(14)いわき湯本 「長谷寺」   、


いわき湯本の「長谷寺」は、他の二院と比べてやや地味ではあるが・・?

因みに筑波山については、「筑波詣」の記録に「本尊観世音坂東の札所なり。大堂巍々雲を貫き、結構美々たる荘厳は、中々言語に絶したり」とある。 
又、「筑波山縁起」によれば「近国他国より参詣の輩、袖を連ね裾をからげ、昼夜の堺も無く、山の繁昌時を得たる有様であった」と記されている。 
何れも、参詣者は途切れることなく大繁盛として記録されている。
筑波山・中禅寺は、筑波神社との神仏習合の地であった。

そして、磐梯山・恵日寺(慧日寺;会津の項で詳細に記載します)は会津地方最古の寺で、磐梯山の大噴火の翌年(807年)に開いたとされている。 
磐梯恵日寺(えにちじ)は、現在の磐梯町の町域ほとんど全部をその境内とするほど広大な敷地を有し興隆をきわめたという。 
無論、藤原一族の援助もこれあり、一時は寺僧300人、僧兵6000人、堂塔伽藍は100を超え、子院3800坊を数えたという。 
恐ろしい天変地異の後なので、農民達はあっさり入信したといわれ、会津地方に仏教文化が大きく花が開いた。 今でも厚い信仰と優れた仏教遺産が残っている。 
広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、将来に向けて復元整備が図られようとしている。 
磐梯山・慧日寺は、磐梯神社との神仏習合の地でもある。


そして、地元・湯本の長谷寺は・・?、
宇治山・長谷寺」は、湯の岳をいただく裾野のいわき市は湯本にある。 
正確には、いわき市上湯長谷堀の内地区で、湯本温泉地から歩いてもすぐのところである。
長谷寺の現状は、上記の二院ほどの華やかさは今のところは無い。 
徳一が蝦夷開発の前線基地とし隣国の常陸にも近く、藤原家の後押しがされたと思しき長谷寺は、往時は壮大無比の大寺院と想定されている。 だが、今のところそのような痕跡はまったく無いのか、或いは発見されてはいないのである。
しかし、霊峰・湯の岳を仰ぎ、霊験あらたかな温泉神社を配し、道後温泉、有馬温泉とともに三大古湯といわれる「サハコの湯」の古湯に漬かれば良しとしよう。 これも藤原徳一の思し召しと思えば良しとしよう。


陸奥の国・「いわき湯本」が大きく拓けるのは平安中期以降の頃で、藤原家の人々や源家の武人が「勿来の関」で歌を詠み、「サハコの湯」に漬かって風雅に過ごしたとされる。 
後には戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として 文人芸人の来遊が絶えなかったという。

次回は、 いわき湯本・「徳一と新興仏教




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東北紀行(13)いわき湯本 「徳一と藤原氏」





 東北紀行(13)いわき湯本 「徳一と藤原氏」   、


前回まで大和地方における長谷寺、三輪山、大和の国、そして大和朝廷の来歴を述べてきた

ここで、「藤原氏」が登場する・・!。
これら大和朝廷及び天皇家を擁護し、画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。 製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。 
「旧秩序」、「旧勢力」、「旧豪族」を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。


常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。 
香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心である。
藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。 
この地、鹿島は中臣(藤原)氏の本流の地で、海人族であったとも言われる。
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。 
武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。

余談ながら奇縁として・・、
大和・三輪山の麓に「相撲神社」が鎮座している。
この神社は日本大相撲の発祥地とされていて、かっての大横綱の大鵬と柏戸がやって来て、土俵入りをしたこともあるという。
昔々、この地に力自慢・當麻蹶速(タイマノケハヤ)がいて、もっと強力な者と命がけで力比べをしたいと言っていた。 早速、垂仁天皇は出雲の国の野見宿禰(ノミノスクネ)を探し出し、二人による我が国初の天覧相撲がこの地で催されたという。
試合の結果は野見宿禰の圧勝に終わったとされている。


藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。
大化の改新」以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名である。 その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。 
不比等は、大宝律令の選修に参加、養老律令を完成し、又、日本書紀の成立を主導し、平城京遷都に際して興福寺を建立するなど、今の「日本国」を創った人、日本という国家の礎を築いた人物として知られる。
その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。 
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。

徳一は「藤原徳一」であり、徳一自身は意識したか、しないかは別として、間違いなく大政治家の極く身近な直系の存在であった。 
しかし、直接政治には関わらず、仏門に身を置き、陰ながら藤原一門として、旧来勢力の打破、律令国家の成立の一助として、宗教を礎とした文化的な面で活躍したと思われる。

石城地方の隣の常陸の国は、奇しくも藤原家発祥の地でもある。 
常陸国は以降の時代を観ても判るが、慌しく戦乱武将が発生し、駆け巡った地でもあった。 
つまりは、早くから開けていたというより、大和朝廷の側面の発祥の地でもある。
ところが、古代、蝦夷地といわれた陸奥の国は、石城の地・「勿来の関」あたりで常陸の勢力圏とは暫くは途絶えていたともされる。
「なこそ」とは、古語における「禁止」の意味で、現代語では「来るな」という意味だそうである。 古代、奈良期に蝦夷の南下を防ぐ目的で設置されたとする説もある。


九州から畿内へ、更に中部、関東と大和朝廷の新勢力が広がって、いよいよ陸奥の国の開拓に差し掛かるのであるが、この時、精神的革新を試み、自ずから蝦夷の地に乗り込んだのが「徳一」であった。 道具は武器でなく、仏教と言う新しい文化を引っさげて乗り込んできたのである。
仏教の普及が、古代からの信仰(主に自然信仰)と結びつくのはごく自然の流れでもあり、「神仏習合」という利便性と説得性のある手段が活躍したのは言うまでもない。
藤原徳一」が先ず根拠にしたのが自家発祥の常陸の国・筑波山であり、又、蝦夷の進出地とされる陸奥の南端では西の街道の会津地方であり、東の街道が「石城地方」であったのである。

徳一は、筑波山に中禅寺を、磐梯山に恵日寺を、そして「石城」には湯の岳山麓に長谷寺を置いて根本道場としたのである。 
その時、藤原家の相当なる経済的政治的な側面援助があったことは言をまたない。 
徳一は、藤原家の活躍地である大和の国・三輪山を念頭に、筑波山や磐梯山を開き、石城に「湯の岳」を開いたのである。 
領民のために、大和の三輪山を紹介して「サハコ神社」(温泉神社)を造らせたのかもしれない。

次回、いわき湯本の長谷寺



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東北紀行(12)いわき湯本 「古代・大和の国と纒向遺跡」

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 東北紀行(12)いわき湯本 「古代・大和の国と纒向遺跡」  ,






纒向遺跡群の代表的古墳:「箸墓古墳」(国土省)


三輪山の神は本来、旧来の豪族たちの神々(大国主神・国造りの神など)であったが、大和朝廷以降は天皇家の神々を祀った。 このため大地主神であった「大国主神」は出雲へ追いやられるのである。 しかし、後に三輪の神(大和天皇家の神)も伊勢の地に遷宮され、次の三輪の神になったのが「大物主神」であった。 
移ったのは皇祖神である「天照大神」が伊勢の神(伊勢神宮)であり、出雲では「出雲大社」であった。
三輪山の新たな主に収まった大物主神は、大国主神の別霊とされている。 
元より、三輪山は最大最高の神霊地(大国主神)なのであり、それが国内事情(政変)で反転したのが「大物主神」とされている。


ところで、最近の2011年1月付けの産経新聞によると・・、
『 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、「女王卑弥呼の宮殿跡」らしき遺跡が発見され、更に、この遺跡より大量のモモの種や各種遺物が見つかり、これらの遺物から判断するに、全て各地から食材や物が集まって神饌(神に供える飲食物)として供えられた遺跡物資である可能性が高いといわれる。 これによって纒向遺跡が単なる農村ではなく都市的な場所であったことが明らかにされ、更に、この地が卑弥呼(ヒミコ)が在住した「邪馬台国」の最有力な候補地ではないか。 』、との報道があった。

更に、纒向遺跡の一端には、これも近頃ニュースになった箸墓古墳(はしはかこふん;宮内庁名は倭迹迹日百襲姫命・ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの墓としている)も有り、この古墳は、この辺りでも最古級と考えられていて三世紀半ば過ぎの大型の前方後円墳で、建造時期や大きさなどから卑弥呼の墓ではないかとする見方もある。 
因みに、卑弥呼は邪馬台国の女王とされ、その生涯年代は西暦175年頃? - 248年頃(在位188年頃 - 248年頃)とされている。 

元より桜井市周辺は、縄文時代から弥生時代のかけて土器の欠片(かけら)などが一般の野原や畑などでも掘り出されるなど歴史の深さと事実を窺わせる土地柄なのである。 
この地域は、神武天皇御陵(橿原神宮)や崇神天皇、景行天皇のものとされる大王陵など、弥生時代や古墳時代にみられる「前方後円墳」などの古墳が多く今日まで残されている。 そのことから周辺地域はヤマト王権(大和朝廷につながる王朝)の中心的な地域であったとされている。 それ以前には三輪王権(大和の豪族集団)とも言われるようである。

邪馬台国」の所在地については昔から近畿説と九州説があるが、近畿説を採用した場合、その根拠となるのが纒向遺跡であり、当時の畿内地方にあって小国連合の中枢となる地であったとして注目されている。
この纒向遺跡は、奈良盆地南東部の三輪山麓に位置し、既に都市計画がされていた痕跡と考えられる遺構が処々方々で認められ、水を得るための巨大な運河などの大土木工事なども行われていて、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目され、既に政治都市としての形が出来ていたともいわれる。 

又、祭祀用具を収めた穴が30数基や祭殿、祭祀用仮設建物などのも見受けられ、東海地方から北陸・近畿・阿讃瀬戸内・吉備・出雲ならびに北部九州にいたる各地の土器が搬入されていることも確認できるという。 
所謂、この地方は3世紀からそれ以前には既に「卑弥呼」を中心とする中央集中の国家体制が出来つつあったか、はたまた既に出来上がっていたとする見方である。
「纒向遺跡」は、その大きさからも七世紀末の藤原宮にも匹敵する巨大な遺跡であり、これこそが「卑弥呼」以降の「大和朝廷」の発祥の地にほかならないともいわれる。

纒向遺跡には20数基の古墳が存在するという。
このうち現状から前方後円墳と判別できるものとして、箸墓古墳、纒向石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳・ホケノ山古墳があり、これらの古墳を総称して「纒向古墳群」といっている。
近年の、この地区の考古学研究の専門家たちの発表によれば、纒向古墳群の出土物の調査等から建造時期は三世紀半ばと推定され、これは卑弥呼が活躍した時期と一致するとの見方で、「邪馬台国・近畿説」を支持する論者たちは意気盛んなのである。
「纒向遺跡」は三輪山の麓、桜井線の巻向駅の至近に存在している。


「大和朝廷」発祥の地とされる奈良盆地南東部に所在する大三輪社(三輪神社)は、大物主大神を祀り、三輪山を神体(神体山)として成立したのであった。 
大三輪社は現在でも本殿をもたず、拝殿から三輪山を神体として仰ぎみるという古神道(原始神道)の形態を残しているのである。
そして現在の三輪山山麓には、日本最古の神社といわれる大神神社をはじめ長谷寺、談山神社などの由緒ある社寺も数多く見られ、宗教的にも歴史が深く古代信仰の形体を知る上でも重要な地区となっている。

さて、話を元に戻しましょう。

次回、 「徳一と藤原氏



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東北紀行(11)いわき湯本 「大和国の仏と神」

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 東北紀行(11)いわき湯本 「大和国の仏と神」  ,



大和の長谷寺

いわき湯本の温泉神社は、奈良期の7世紀頃、神体山である「湯の岳」より降臨(神仏などの天下ること)して里宮として遷座したもので、後に、大和国・三輪神社(現、大神神社:現在奈良県桜井三輪)の主神を勧請し、祭祀されたとものいわれる。
三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と類似形をしている。 そして太古より神宿る山で、そのものが神体であり、原始信仰の対象であったとされるのも酷似しているのである。


奈良盆地の大和国は、奈良期の仏教伝来後、最も盛んに根本仏教が栄えたところであることは周知である。 
奈良時代の仏教が波及するようになって間もなく、神仏混交、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という神道と仏教を両立させるための信仰行為が成立する。 神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)とも言われる。

仏教が国家の宗教となったのは奈良時代で、東大寺を建立した聖武天皇の時からであったが、実は天皇というのは神道の神様を祀る中心的立場にあり、100%仏教とは行かなかったようである。 つまり、仏教は、すんなりと日本人が受け入れたわけではなく、紆余曲折があったことは良く知られている。 
そこで、神様と仏様が歩み寄る必要が出てきて、歩み寄ったのは神様の方であり、因みに、その一番手が八幡神(宇佐神宮・応神天皇、大分県宇佐市)だったとされている。

日本において神仏習合思想に基づいて、神社を実質的に運営する仏教寺院が設けられ、この寺院を「神宮寺」と称した。 そこで三輪神社の神宮寺は、大神寺、通称、大御輪寺であった。(現在は、神仏分離で三輪若宮神社になっているらしい)
この寺院には天平国宝の十一面観音が祀ってある。 観音信仰の中心的菩薩である。
仏像の中でも大衆の信仰心を最も篤く受けてきたのは「観世音菩薩」であり、特に十一の面相を持つ十一面観音は、他の観音より強大なパワーを持つと信じられている。

その本尊・十一面観音の観音信仰の中心は「長谷寺」であるが、その根本御堂が三輪神社・三輪山の東に位置する大和・初瀬(泊瀬)川の「長谷寺」であることは興味のある方は周知である。 
初瀬川は聖なる川といわれ、初瀬が生じて「はつせ」・「はせ」・「長谷」になったとされる。 初瀬川は長谷川でもある。
三輪山の神に仕える巫女、彼女たちが禊ぎをするのが初瀬川であり、「長谷寺」の興りはこの三輪山と初瀬川ともいわれる。 
三輪山のご神体が初瀬川で生まれた「龍神」であり、龍神信仰と結びついたのが長谷信仰の根本である「十一面観音」であった。


大和の大神神社 ,
三輪山の神に囲まれた大和は王城の地であった。 ではそれ以前は・・? 
旧態豪族の住む地であったとされ、ヤマト王権の初期の三輪政権(王朝)が存在したものと考えられているという。

神武天皇が九州の地(日向・美々津)から紀の国へ上陸し、奈良盆地を平定するとともに、この地域全体を「大和」と呼ぶようになった。(古事記、日本書紀の記録による。 歴史的には邪馬台国の東征ともいわれる) 
更に、平定が日本全土に及ぶと大和の国と呼び習わすようになった。 
「大和朝廷」の都の成立であり、歴代大王=歴代天皇家の地となった。

その信仰の中心的支柱が「三輪山」であった。 
記紀には、『その神、大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ』とあり、つまり、「大御和の神奈備(三輪山)に大物主神を御祀り申し上げた」と記載されている。 大神(おおみわ)神社である。
大御和(おおみわ)、大御輪(おおみわ)、大神(おおみわ)、大三輪(おおみわ)の関係がチョッとややこしいが・・、 本来、奈良の地域を古代には大御和の地と呼ばれていたらしく、この地に大神(おおみわ)神社が祭られ、地域名も「大御和」変じて「大和」になった、とする見方もある。 一方、この地域を三輪地方とも称している。
現在、この三輪山の麓である三輪地方はどのような土地柄になっているのだろうか・・?、序ながら次回に記載したい。

次回、古代の大和の国  、


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