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東北紀行(117)会津 「秀吉の会津遠征」

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 東北紀行(117)会津 「秀吉の会津遠征」   



因みに、「豊臣秀吉」はが会津に入ったことは余り知られていない。 

これも幕末維新の大戦争による記憶が余りにも深く大きくて、それ以前の史的産物は陰が薄くなってしまったのかもしれない。 
しかし、会津若松の整然とした町並みはこの時から起こったとされている


秀吉は戦国時代の総決算、全国の統一として、最後に奥州の仕置(領地の配分や管理手法を決める)を行う。 
これは東北地方における一大事件であり、大革命であったとされている。
会津への巡察行軍は、宇都宮を発って再び帰城するまでの10日間の日数であった。


天正18年(1590年)、小田原城を陥落し北条氏を討った秀吉は、応仁の乱以来100年余り続いた戦乱に終止符をうち天下を統一した。
その後、東北地方を支配するため自ら伊達正宗の本拠だった黒川(若松)に入り、奥州仕置に着手した。

このことは、奥州支配にあたって関東につながる会津がいかに重要な地であったかを示すもので、腹心・蒲生氏郷を会津に配置した。
これは、400年前に頼朝が関東武士に分割支配させて以来の大変革であり、「 闘わずして奥州を手に入れる 」といった秀吉の言葉は、そのまま実現して同時に天下統一は完成した。

会津においては、天正18年(1590年)、秀吉による奥州検地の命令によりきびしい検地が行われ、福島地方を浅野長政、会津地方を豊臣秀次、白河地方を宇喜多秀家など、当時のそうそうたる武将が奉行を務めたという。
しかし、この検地には農民の強い反発がもり、この時の農民一揆で63人が首がはねられたという大事が発生した。 
これは、赤岡村(現在の南会津郡下郷町)にあった事件で、県の史上最も厳しい弾圧であったともいわれる。


会津若松市東山町の背あぶり山の頂に「関白平」と呼ばれる標高約800mの高原がある。 
秀吉はこの山頂に立って、会津盆地を一望しながら東北の仕置を考えていたのかもしれない。
実際、宇都宮へ帰城してから「宇都宮評定」といわれる席上で、東北の仕置を命じている。

関白平の名は、昭和に入ってから付けられた名前らしいが、関白秀吉は天下人として、新たに手に入れた領土を家臣に見せ、力を誇示するために一望できるこの場所を選んでともいわれている。

その、「背あぶり山」の麓に東山温泉があり、当然ながら秀吉一行(一行は凡そ3,000人とも言われる)はその帰路、共々、東山温泉にて英気を養ったであろう。 
当時の温泉関係者の慌てふためく狂騒振りが想像できる。


会津は、秀吉の命(宇都宮評定)によって「蒲生氏郷」に領地の運営を任されることになる。
氏郷は織田信長に仕える近江国(滋賀県)蒲生郡日野城の領主で、信長の死後、豊臣秀吉の家臣となっていた。 
数々の戦功をあげた人物で、秀吉にその優れた能力を認められ、東北地方を支配するのに重要な地だった「会津」を任された。 

氏郷は1593年(文禄2年)、会津に入ると大きな天守閣を持つ城を築き「鶴ヶ城」(つるがじょう)と名づけ、城下町を整備し産業の振興を図る。 
氏郷は更に、黒川の地名を「若松」と改名する。 
これは氏郷の故郷・近江国(滋賀県)蒲生郡の「若松の森」にちなんだと言われている。

又、雑然としていた城下を整備、拡張に着手、城の周りに侍屋敷を配しその外側に土手(外郭)を築き城を中心に、郭内・郭外に分割する。 
それまで郭内にあった町人屋敷を郭外に移し、町の北側に多くの寺院を移築し城下の整備をする。 

検地によれば、氏郷の領地は91万9,320石となり、徳川家康・毛利輝元に次ぐ全国で3番目の大大名になっていた。
この町割りは、現在の市街地の原型になっていて、今でも市内のいたるところでその名残を目にすることができえう。 郭外の町域は大町・馬場町・本郷町・三日町・桂林寺町・六日町等である。

1593(文禄2年)、七層の天守閣を持つ「鶴ヶ城」が完成する。 
その威容は会津盆地を圧し、若松は「奥州の都」とうたわれるほど繁栄するようになったという。

次回、「向羽黒山城



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東北紀行(116)東山温泉 「温泉と著名人」

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  東北紀行(116)東山温泉 「温泉と著名人」    、 



東山温泉は、「鶴ヶ城」から南東に僅か約3kmの地、清流・湯川沿いに温泉宿・ホテル計20軒以上が営業している。 
湯量は毎分1,500リットルの湧出があるとされ、バリバリの温泉地である。

会津藩・松平家の別荘から発祥した「新滝」、会津藩指定保養所の歴史を持つ「向瀧」、新撰組副長・土方歳三が戦傷を癒した源泉を持ち、開湯当初からの湯宿とされる「不動滝」(土方の入湯については幾つか伝承がある)など、特性のある旅館が多い。

上山温泉、湯野浜温泉と東山温泉で奥羽三楽郷の一つとも言われ、開湯は八世紀後半、又は天平年間に行基によってなされたと伝えられ、当初は「天寧温泉」(温泉街の入り口に蘆名氏の菩提寺・天寧寺がある;同系の寺院は蘆名氏転封先の角館にもあえる)とも言われたという。
古くは豊臣秀吉や新選組副長土方歳三らが訪れ、又、竹久夢二、与謝野晶子等、多くの文人にも愛されたという。 


元より、豊臣秀吉(太閤秀吉)は温泉好きで知られる。 
京・大阪の奥座敷とも言われる「有馬温泉」には豪華な別荘「湯山御殿」を建てさせ、専用の「太閤風呂」を造らせている。 

更に戦乱の影響で衰退していた有馬温泉に手厚い保護と援助を行い、再興に努め、歴史と伝統のある温泉を復興させて天下人としての器量を見せている。


近世、松平23万石の城下町として栄えた会津藩は、藩租から屈強な武士道を鍛え上げ、「忠と孝」のもとに散っていた会津武士達も、一時は当地温泉でゆっくり身体を癒し、時を過ごしたのかもしれない。

泉質は「硫酸塩泉(カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉・塩化物温泉)」で、PH値は8.0の弱アルカリ性、特にリウマチや皮膚病に効能があるという。

次回、「秀吉の会津遠征



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東北紀行(115)東山温泉 「東山温泉街」

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 東北紀行(115)東山温泉 「東山温泉街」   , 





写真:東山温泉、「千代滝」の屋上展望風呂



「新滝」の何れの温泉浴槽も泉質はほぼ同じようなものであったが、いやはや異なる六種類の浴槽の雰囲気を満喫して、泊まり宿である「千代滝」へ戻った。 

部屋へ案内されて窓を開けると、すぐ山間に会津東山温泉街が一望できる。
今度はこちらの温泉入浴である。


屋上階にある浴室は大きな内湯と露天風呂と二箇所あり、入浴中は山々しか見れないが、立ちあがると会津若松市内と東山温泉街を眼下に見ることができる。 
そして尚、湯船を乗越して前にある非常階段のところまで歩み寄ると、若松城下の煌く明かりが一層鮮明に見下ろすことができるのである。  
なるほど、ホテルが絶景展望の露天風呂と称しているのには頷ける。


「千代滝」と姉妹館の「新滝」の宿泊客は、お互いの宿のお風呂に湯巡りできるようだが、やはり温泉入浴に関しては歴史のある「新滝」の方が一枚も二枚も上のようである。 
ただ、湯めぐり可能なのは制限時間があるらしく、午後は15時から22時と午前は早朝から午前10時迄らしい。

何れにしても若年の砌(みぎり)ならいざ知らず、年配の域に達した小生などは、余り温泉にばかり浸かると「湯疲れ」を起こす恐れもあり、このあたりが限度であろう。









東山温泉街(ホテルの部屋と湯川からの眺め)



東山温泉の中央を流れる「湯川」は上流に東山ダムを控え、その上部も湯川渓谷といわれる豊かな自然が広がり、奇岩や幾つもの大小の滝が連続する。

この温泉地には「千代滝」、「新滝」を初め「向滝」、「原滝別館・今昔亭」、「原滝本館」、「不動滝旅館 」、そして「庄助の宿・滝の湯」と、「滝」が付く宿が多い。 
因みに、「庄助の宿・・」は、小原庄助さん縁(ゆかり)の宿という謳い文句で、有名な会津地方の民謡、盆踊り唄となっている「会津磐梯山」に登場する人物である。


会津磐梯山』 福島県民謡

エンヤー)会津磐梯山は宝の(コリャ)山よ
笹に黄金が(エーマタ)なりさがる 
 
エンヤー)東山から日にちの(コリャ)便り
行かざなるまい(エーマタ)顔見せに
『おはら庄助さん なんで身上(しんしょう)つぶした。朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした。ハァもっともだ もっともだ』

朝寝・朝酒・朝湯好きで財産をつぶしたという「小原庄助」のことで、戊辰戦争で戦死した会津藩士などの説もあるが、しかし、実際については不明だともいう。


「会津磐梯山」の民謡に併せて、毎年お盆の時期の8月13日頃から一週間程度、開湯伝承を持つ老舗の旅館「不動滝」の前に櫓を組み、「東山盆踊り」が開かれる。 

踊り手は旅館の宿泊客や近郷近在から集まり、鐘と太鼓や笛が賑やかに奏でる中、色よい芸者さんたちが櫓の上で歌う。 
数日間行われる祭りの目玉は、サラシを巻き半被(はっぴ)姿の芸者さんが神輿の上に乗って、観光客等が温泉の手桶を使ってお湯かけるという、少し色っぽいお湯かけ夏祭りで盛り上げるという。

次回、東山温泉の著名人



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東北紀行(114)東山温泉 「土方歳三、療養の湯」

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 東北紀行(114)東山温泉 「土方歳三、療養の湯」   、 















新滝旅館の各浴槽、上より岩場の湯 大理石の湯 露天風呂




次に、新滝旅館の玄関横の「千年の湯」に向かってみた。
階段を下りて浴室へ向かうと突き当たり右側が男性用になっていて、左は女性用らしい。 
因みに、日のよって男女用が入れ替わるという。

千年の湯は、天然の温泉自噴岩盤をそのまま生かしたという豪快な浴槽で、四角い二つの浴槽の底からは僅かに自噴しているのが判る。 
一方、隣の浴槽は豪華な大理石風呂である。 次には東山を流れる湯川に面した大きな露天風呂で、渓流のせせらぎを聞きながらの入浴である。 
大自然に身を任せ、季節の移ろいを感じながら情緒ある東山の風景を独り占めできる温泉であろう。

戊辰戦争の折には療養中の土方歳三も訪れ、当時の岩風呂から川に飛び込んだという逸話が伝えられているという。(詳しく後ほど) 
隣の「不動滝旅館」に泊まって温泉療養したとされ、本館外壁には巨大な土方歳三の画像が示してある。
土方歳三は、無論、会津藩士ではなく京における新撰組の副長であった。




土方歳三が入湯したとされる浴槽跡



ところで、会津戦争は明治維新における戊辰戦争の最後の戦いと思われるが、実は最北の地・蝦夷函館において最後の決戦が行われていた。 
この戦いに土方歳三は参戦し、壮烈な最期を遂げていたのであった。

土方歳三は、幕末 (1863年)において近藤勇らと共に上洛し、京都守護職会津藩主(松平容保)お預りとして不逞浪士の取り調べ、市中見廻りを行なっていた。 
慶応4年(1868;明治元年)鳥羽・伏見の戦に敗れた歳三は、新選組の生き残りを率いて北関東、会津と転戦した。

戊辰戦争も終盤の慶応4年、官軍が「会津」へ殺到、一か月に及ぶ籠城戦となるも歳三は母成峠の戦いに敗戦し、籠城のための入城に遅れた土方は開陽丸で北上してきた榎本武揚と共に仙台で合流する。 
その後、榎本武揚の艦隊に合流し新天地に希望を求めて蝦夷地函館に上陸している。


新撰組の土方歳三、奮戦ス・・!!、

新撰組副隊長の土方歳三が戦死したとされる場所は、現在の函館駅近くの若松町辺りとされている。 敗走してくる仲間を率いて進軍させ、『 我この柵にありて、もし退く者を斬る・・! 』と発したという。


函館戦争の敗戦後、旧幕府軍である榎本軍の幹部は概ね明治新政府の要職に付いている。
その中で自ら死地前線に赴き戦死したのは「土方歳三」ただ一人であったという。

土方は、120人前後となった新選組と共に、榎本艦隊で仙台から蝦夷地へと向かった。 
約2500名の脱走軍は函館城(五稜郭)に無血入城し、12月には蝦夷地平定を完了し、「蝦夷共和国政府」を樹立した。 

熊石まで渡島半島の南端海岸線を巡っている。
土方は、新政府軍が函館総攻撃を開始する頃、敗色濃厚となっても新選組や前線兵士を救うため、僅か80人を従え騎馬で出陣し、元より死を覚悟しての陣頭であった。 

降伏戦死の後、土方の遺体は僚友・安富才助(新選組隊士、馬術師範)らにより五稜郭に運ばれ、埋葬されたという。 享年35歳の若さであった。

次回、再び「東山温泉・千代滝」




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東北紀行(113)東山温泉 「千代滝、新滝」

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 東北紀行(113)東山温泉 「千代滝、新滝」  , 




夕刻も迫り、東山温泉の「千代滝旅館」へ急いだ。

東山温泉は十代の頃より数度訪れたことがある。 
城下・若松の奥座敷として当時は人出も多く、建物も煌びやかで相当に賑わっていた記憶がある。 
夏のお盆の時期になると、湯の川を挟んで笛や太鼓による民謡・会津磐梯山の唄と共に踊り狂ったものであった。

今は、時代の趨勢もあってチョット落ち着きすぎた町並み風情に変わったような気がしたが・・?。




千代滝旅館



千代滝旅館は、向かうと左手に高台にあり、温泉街が一望できそうである。 
そういえばこちらの温泉浴場の目玉は屋上の展望風呂にあるらしい。
只今の時間は夕刻5時であった。 

ただ、こちらの入館入室時間は夕刻6時という条件付で、そのかわり通常より何割か割引き値あったはずだ。
旅館側に言わせれば、「 せっかく見所いっぱいの会津に来たのだから、ゆっくり観光を楽しみたい 」という気遣いでもあったのだろう。 

確かに、会津は一日では回りきれない程名所や観光スポットが満載である。 
歴史ある会津の様々な名所を回り、そして夜は通常よりも手頃な価格で宿泊できることは利用客としても有難い。



時間に余裕があるので、姉妹館の「新滝」の入浴を楽しむことにした。
こちらは本館(千代滝)と違って、温泉街の中にあり、湯の川の洒落た造りの先心橋を渡った先にあった。 

こちらも千代滝以上にホテル風の旅館である。
年配者風の案内係りに・・、

「千代滝から来たんだけどお風呂入らして、 それと車ここでいいかね」、 
「はい・・、源泉掛け流しのいい風呂だから、ゆっくり入ってきな」、

と気さくな返事が返ってきた。


豪華なつくりの玄関を入ると正面に受付フロンとあり、左手にガラス張りの大きなロビーが広がっていた。 
何でも歴史ある新滝旅館は、今年(2010年)リニューアルされたばかりどという。

温泉は玄関より右の廊下越にあるらしい。 廊下の入り口に早速「千年の湯」というのがあったが、これは後ほどの楽しみとして奥の方にもあるらしく、先ずそちらの浴槽へ向かった。






写真:新滝橋と新滝旅館




新滝旅館の「猿湯」 


わたり湯」、「殿猿の湯」(女性は姫猿の湯)そしてやや小さめながら露天風呂で妙な名前の「月取り猿の湯」のがあった。 モダンな殿猿の湯と木造りで湯治場の古風な浴槽との対比がいい。 
何れも広い窓によって表現されており開放感がいい。

木造り主材はヒバの木で、木造浴槽としては最高品といわれる。 
ヒバは国内では青森など緯北地域が特産とされ、材質的には殺菌効果、防虫効果、防腐・防湿効果、消臭・脱臭効果などの特殊な効果があるとされる。 
一昔までは神社や仏閣、お城などの建築に大いに利用されたらしい。

温泉は無味無臭で透明感があり、肌触りはさらりとして、小生にとっては温めの適温で、のんびりと入れるのがいい。

豊富な湯量の自家自噴泉は、日本温泉遺産を守る会により「温泉遺産」の認定を受けていて、古くは川の脇の素朴な湯治場として会津藩士に親しまれたという。

更に、「東山温泉



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