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45、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家光公」(2) 






  45、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家光公」(2)  





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http://rinnoji.or.jp/keidai/homotu/past/homotu-pic/iyemitu.jpg

輪王寺大猷院と徳川家光公




 
家光は、「二世権現、二世将軍」と書いた紙を、常に守り袋の中に入れていたという。
父・秀忠の存在を欠落させている一方、自分を将軍後継者に指名した家康への崇拝の念は非常に強く、家康をまつる日光東照宮を、秀忠が造営した物を改築し、自分の色に染め上げ、現在見られる壮大なものを完成させている。
「家光」の名乗りは、かの家康の側近住職とされる「崇伝」の選定であった。

彼は、側近に恵まれた人物であった。
秀忠の頃からの重臣、土井利勝・酒井忠世の他、家光が誕生すると側近として使えた稲葉正勝(春日局の子)、知恵伊豆と言われた松平信綱、堀田正盛、阿部忠秋、阿部重次、三浦正次、太田資宗という「六人衆」をはじめ、家光の周りには切れ者が多く集まっていた。因みに、太田資宗は江戸城を最初に造った太田道灌(資長;室町時代の歌人武将で、「七重八重 花は咲けども・・・」でも有名)の子孫である。


弟・忠長に対しては事実上自害に追い込んだ家光であったが、もう一人の7歳下の弟で、父・秀忠の隠し子であった保科正之には絶大な信頼を寄せた。
家光が、鷹狩りの途中に立ち寄った保科家の菩提をつとめるお寺の住職からその話を聞き、早速対面し、よほど嬉しかったのか、正之を信州高遠3万石から、一気に山形20万石へ。さらに、正之32歳の時、会津若松23万石へランクアップさせているのである。
正之はその後、大老にまで上り詰め、幕府の中枢に参画。また、正之の会津藩は後に、会津松平家となり、激動の幕末には徳川家の側家として大きな役割を果たすことになる。

家光は慶安3年(1650年)には病気となり、政務・諸儀礼を家綱に代行させ、翌年4月に江戸城内で死去する。 享年48。 家光の死に際しては、堀田正盛や阿部重次らが殉死している。
遺骸は遺言により一旦は東叡寛永寺に移され、後に日光の輪王寺に葬られた。
同年5月には正一位・太政大臣が追贈され、法名は「大猷院」に定められた。
翌、承応元年(1653年)には「大猷院廟」が造営される。

序ながら、徳川将軍家の霊廟は、初代家康と三代家光が日光山に。
他は、四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定が上野・寛永寺に、更に、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂が芝・増上寺に、十五代慶喜が谷中霊園に祀られていて、正室なども一緒に埋葬されている。
寛永寺や増上寺には、今に見られないような豪華な霊廟が建っていたらしいが、東京大空襲で殆どが焼失してしまい、一部の建物は今でも保存されている。


次回、東照宮の御堂全般を記載します。







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43、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家光公」






  43、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家光公」  






http://rinnoji.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/02/koukamon.jpg
本殿前のコウカ門


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/Iemitu.jpg/800px-Iemitu.jpg





徳川三代将軍・徳川家光公

家光は、幼名を竹千代といった。
これは家康の幼名と同じで、母は江(一般には江・ごう、小督・おごう、お江与・おえよの方とも呼ばれる)である。
お江は、2011年度放送のNHK・大河ドラマ・『江~姫たちの戦国』(第50作目)でお馴染みであり、織田信長の妹・お市の方の末娘としても有名で、即ち、信長の姪っ子当たるのである。 何より、家光は血筋としては、父の秀忠(母は家康の側室・西郷局)よりも遥かに良質なのである。

家光は、同母の弟の忠長と違い、母お江ではなく、乳母の「春日局」に育てられたことから、両親共に忠長を可愛がっていたため、後継者争いが発生し、家光の将軍継承には危険信号が付いていた。 しかし、幸いにも、家康が存命中だったため、春日局の訴えで「長序の順」から家光が後継者であると宣言してもらうことが出来た。

春日局は、御存知、大奥の御上として知られる。
家光の乳母で、「春日局」とは朝廷から賜った称号であり、家光の生母・江の死後は大奥の公務を取り仕切るようになる。
近世初期における徳川幕府を支える女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与しながら、家光の名代として上洛し朝廷にも謁見している。 その際に「従二位」という位に昇叙し、よって「二位局」とも称された。
同じ従二位の女性といえば、平安期の平時子(平清盛の妻)や鎌倉期の北条政子(源頼朝の妻)と比定する位階である。



引き続き 「猷院と徳川家光公」(2)






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tag : 大猷院と徳川家光公

43、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と時代背景」







43、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と時代背景」



http://www.nikkotoshogu.com/html/kosu/file/daiouin.gif
輪王寺大猷院慨図



http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/rinnoji_taiyuin-niten011s.jpg
輪王寺大猷院の二天門





大猷院と時代背景

大猷院(たいゆういん)は,徳川三代将軍・家光公を祀る霊廟である。大黒山の地形を利用した境内は,22棟からな国宝・重要文化財の建造物で構成されている。

家光廟の「廟」とは、祖先の霊をまつったお堂のことで、「大猷院」とは、徳川3代将軍家光公が死後、後光明天皇から賜った法号、つまり、ここは徳川家光公の墓所なのである。


 
家光公は、祖父である家康公を心から深く尊敬し、慶安4(1651)年4月20日、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現・家康公にお仕えする」という遺言を残した。

その遺志を受けた4代将軍家綱は酒井忠勝に命じ、承応元年(1652)2月から承応2年(1652)4月まで1年2か月という短い期間で大猷院を造営している。

大棟梁だったとされる平内大隅守応勝が腕を振るった江戸時代初期の代表的建築で、建物は本殿、相の間、拝殿が国宝となっているほか、唐門、夜叉門など重要文化財も多い。



又、家光公が、東照宮を模倣することをはばかったので、東照宮とはまったく違う趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴で、地形を利用した配置も、大猷院ならではでとされている。

東照宮の建築が白と金を基調にして、黒の縁取りをしているのに対して、大猷院は金と黒が基本で、縁取りは赤、金箔も東照宮より赤みがかったものを使用しているという。

大猷院は、東照宮の後に建てられたことから技術が飛躍的に向上していて、地味目とされているが彫刻、絵画、調度品は素晴らしいものである。

東照宮が神式であるのに対して、大猷院はすべてが仏式になっていて、そのため輪王寺に属することになっている。



明治と改元され新政府が発足すると、1000年続いた神仏習合の習慣は廃止されて、併せて神仏分離令が発布され、廃仏毀釈運動が起こり、聖地日光も当然ながら影響を受ける。

国家神道が強要され、神道にも仏教にも大きな傷を負わされる中で、明治2年、輪王寺宮も廃止され、同時に明治4年、日光山輪王寺は東照宮、輪王寺(満願寺)、二荒山神社の二社一寺に分離される。

それに伴い日光山は、神社境内からの仏堂の移転、あるいは仏像を破壊、遺棄したり多くの混乱が生じるのである。



そのような中 明治9年明治天皇東北御巡幸の際、日光御巡幸となり満願寺にご滞在の折、これらの事態を痛ましく思い「そのままに差し置け・・!」との詔令が出て、日光山は金子を賜ることになる。

特に、大猷院はすべてが仏式であったため、あわや・・!?、と思われたが、住職の必死の努力や明治天皇の“鶴の一声“で、難を逃れたのであった。


次回、 徳川家光公








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42、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家」 






  42、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と徳川家」  





http://ts1.mm.bing.net/th?id=HN.608013343175607370&pid=1.7




http://kinoie-kusano.up.seesaa.net/image/FI2616425_2E.jpg
輪王寺大猷院の本殿




大猷院の豪奢な創造物は、徳川家の権威の象徴として造られたものである。
然るに、幕府の財貨、財宝のみにあらず、各藩からの相当の出資があったことは想像に難くない。 しかし、関が原から大阪の陣が終わってから、家光将軍就任まで数年、家光死後まで30数年しか経っておらず、未だ世は武断政治であり、外様大名をはじめ諸藩も財政的に余裕は全く無かった時代であった。

しかし、家光の時代には、江戸城をはじめ幕府直轄地における御金蔵にはあったのである。
大阪城の天守の中には、豊臣秀吉の存命の頃は、金銀財宝が唸りを上げていたといわれる。
慶長3年(1598年)6月、病床にあった秀吉は、豊臣家の将来・危急の時のために、大阪城御金蔵にあった4億5千万両(現在では約200兆円)を摂津の国、多田銀山の21カ所に分けて埋蔵したと伝えられている。

徳川家康が、豊臣秀頼の財宝を消耗させる為、多くの仏閣・神社を建立・修復させたとされているが、(この中にあの釣鐘騒動の方広寺も含まれる。「君臣豊楽 国家安康」である)焼け落ちた大阪城からは、あと数回は余裕で合戦が出来るほどの金銀が出てきたと言いう。
大坂の陣の頃の豊臣家は僅か60万石程であるが、財宝は凄まじいほどで、この財宝をばらまき、浪人を集めたともいわれる。

大坂の陣の後、徳川政権になって、豊臣家から財産、財宝を押収したのは、大阪城をはじめ埋蔵された財宝、埋蔵金を、全てではないであろうが、半分に見積もっても100兆円である。
100兆円は、現在の国家予算でもあるが、当時は、徳川一藩における金額であるから、いかに巨額であったかが判る。
家光は、懐に100兆円の財産を抱え、祖父・家康のためほんの一部の軍資金(建設費用)
を日光・東照宮のために出したのであろう。 
そして、家光死後、4代家綱はほんの一部を捻出して、遺訓にしたがって日光に大猷院を建立したのかもしれないのである。









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41、日光の世界遺産;二社一寺の 「輪王寺大猷院の概説」 





  41、日光の世界遺産;二社一寺の 「輪王寺大猷院の概説」  




http://cache5.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/25360000420.jpg



http://www.rinnoji.or.jp/keidai/taiyuin/yashamon.JPG
輪王寺大猷院の夜叉門




静寂に包まれた素晴らしい雰囲気の「大猷院」であった。
それにしても、豪華絢爛たる色調、彫物、そして金箔も、ここまでできるのかと思うほど職人さんの技術と美意識と意地と根性が集約されているのが伝わってくる。
現在の技術で、これらと同じものが作れるかどうかは、はなはだ疑問を生ずるが、はたしてどうなのであろうか・・?。


現代の職人も跡継ぎがいなくて、継承されるべき技術はどんどん失われているともいわれているが、ここは個人的な継承も大切ではあるが、もっと、地域に密着した技術を組織的に、広範囲的に学べる場が必要ではないであろうか。

例えば、文化庁辺りが中心となって、地域地域に専門学校を設け、職人を先生とする現地実習を大幅に実施する。 そのよな体制が是非にも必要であろう、と思われるが・・?。



ところで今、大猷院と同じ建物を建てたら、一体幾らかかるんだろうか・・?、と愚者は常に思い、考え、予想するものである。

それについて本件に関して、面白い記述があった。
『 数千億か、1兆円単位になるのか。 1兆円と軽くいうけど、1億円の1万倍だ。 1億の宝くじが1万回当たってやっと1兆円になる。 1億円以上は100億も1兆も同じと思いがちだけど、全然違う。』



仮定の話でも結構だが、因みに、日本全体の国家予算で一兆円という時代は、そう遠くない過去にあった。 

昭和30年(1955年)前後であり、その時代は日本はこの後高度経済へ向かおうとする年代でも会った。
そして、一兆円というのは、今の国家予算の100分の1程度であり、大猷院の建設諸経費が一兆円というのは、やはり高いのである。


だが・・・、  




次回、「輪王寺大猷院と徳川家」










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