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東北紀行(62)角館 「河原田家と小田野家」

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 東北紀行(62)角館 「河原田家と小田野家」  ,

















河原田家;薬医門と母屋玄関、 苔むした庭園と散策歩道




次に訪ねたのがお互いが隣接している河原田家小田野家である。
両家の門の近くは、葉が今にも落ちそうな枝垂桜の大木が、撓った(しなった)枝を被らせている。 

河原田家の薬医門は青柳家同様堂々たる構えであり、前面黒御影の石標には「史跡武家屋敷・河原田家」と記されていて判りやすい。 

母屋室内には直接入れないが、庭園へ通じる脇門から入ると洒落た見学用の木道が作られていて、書院作りの表座敷を見ることができる。

こちらは母屋を見るより庭園の見事さに感心する。 
苔むした地面の所々に石を配し、年輪を感じさせる樹木が覆っていて風情が美事である。

母屋の内部は庭園から眺められ、間取りなどは武家住宅の形式を踏襲していて、屋敷の構成は藩政時代そのものといわれる。
木の道は、そのまま隣家の小田野家通じ、当家の薬医門が出口になっている。









           小野田家薬医門と母屋






小田野家は医薬門から玄関までの長いアプローチで、珍しくドウダンツツジが生い茂っている。 
シンプルな造りの玄関前から母屋の表庭に回って見ると、これ又珍しく鬱蒼とそびえる樹木の庭の下草には笹が一面に植え付けられている。 
母屋の玄関も一般の通用口と正式のものとを一緒に使い、玄関土間の上がり床(カマチともいう)で身分を区分するといい、中級武士の屋敷造りとなっている。 
間取りは近世武家住宅そのものだが、全体的に簡略化されているという。



河原田家は岩橋家同様、戦国時代に芦名氏の譜代として会津から角館へ移って本家100石、分家50石を拝領した。 
芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となるが、幕末から明治にかけて分家が著しく発展し、明治24年に裏町からこの東勝楽丁(町名)へ移り住んだという。

又、小田野家の本家は平賀源内に師事し、洋画(秋田蘭画)を確立した小田野直武(縁戚関係にあった青柳家に胸像がある)を輩出している。
又、分家は居合いの師範(柳生新陰流)や眼科治療などの功績があった異色な家柄でもあったという。

次回、「角館と佐竹家



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東北紀行(62)角館 「河原田家と小田野家」

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 東北紀行(62)角館 「河原田家と小田野家」  ,

















河原田家;薬医門と母屋玄関、 苔むした庭園と散策歩道




次に訪ねたのがお互いが隣接している河原田家小田野家である。
両家の門の近くは、葉が今にも落ちそうな枝垂桜の大木が、撓った(しなった)枝を被らせている。 

河原田家の薬医門は青柳家同様堂々たる構えであり、前面黒御影の石標には「史跡武家屋敷・河原田家」と記されていて判りやすい。 

母屋室内には直接入れないが、庭園へ通じる脇門から入ると洒落た見学用の木道が作られていて、書院作りの表座敷を見ることができる。

こちらは母屋を見るより庭園の見事さに感心する。 
苔むした地面の所々に石を配し、年輪を感じさせる樹木が覆っていて風情が美事である。

母屋の内部は庭園から眺められ、間取りなどは武家住宅の形式を踏襲していて、屋敷の構成は藩政時代そのものといわれる。
木の道は、そのまま隣家の小田野家通じ、当家の薬医門が出口になっている。









           小野田家薬医門と母屋






小田野家は医薬門から玄関までの長いアプローチで、珍しくドウダンツツジが生い茂っている。 
シンプルな造りの玄関前から母屋の表庭に回って見ると、これ又珍しく鬱蒼とそびえる樹木の庭の下草には笹が一面に植え付けられている。 
母屋の玄関も一般の通用口と正式のものとを一緒に使い、玄関土間の上がり床(カマチともいう)で身分を区分するといい、中級武士の屋敷造りとなっている。 
間取りは近世武家住宅そのものだが、全体的に簡略化されているという。



河原田家は岩橋家同様、戦国時代に芦名氏の譜代として会津から角館へ移って本家100石、分家50石を拝領した。 
芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となるが、幕末から明治にかけて分家が著しく発展し、明治24年に裏町からこの東勝楽丁(町名)へ移り住んだという。

又、小田野家の本家は平賀源内に師事し、洋画(秋田蘭画)を確立した小田野直武(縁戚関係にあった青柳家に胸像がある)を輩出している。
又、分家は居合いの師範(柳生新陰流)や眼科治療などの功績があった異色な家柄でもあったという。

次回、「角館と佐竹家



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東北紀行(61)角館 「岩橋家」

『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
微少、微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。

被災者避難の皆さん、原発避難の皆さんへ全国(北海道から沖縄)の公営住宅、又、全国(北海道から沖縄)の公共住宅,UR機構(昔の公団),都道県市公社、官舎など、その他の公共的空住宅を行政、省庁、自治体が中心となって提供してやって下さい。
避難者近隣の銭湯、公共浴場、温泉施設など暖かい入浴を提供してやって下さい。
東北出身(いわき)の小生





 東北紀行(61)角館 「岩橋家」  ,








岩崎家薬医門っと御屋敷母屋(映画「たそがれ清兵衛」の撮影場所)




次に、南へ下って辻から東勝楽丁(町名)の岩橋家を訪ねる。
苔生した屋根(茅葺から木羽葺き)の薬医門をくぐると案内板が先ず教えてくれる。


岩橋家住宅は案内板によると・・、
『岩橋家は北関東の名門会津黒川城主芦名氏(鶴ヶ城;70万石)の重臣であった。天正17年(1589)芦名氏が伊達政宗に敗れ常陸の佐竹氏を頼り常州江戸崎城4万8千石を与えられ、岩橋家も芦名氏に随従して江戸崎に移った。関ヶ原戦後、慶長7年(1602)佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館城1万5千石を与えられた。岩橋家は一時江戸崎を立退き津軽氏に300石で仕官していたが、主君の角館居住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。芦名氏が承応2年(1653)3代にして断絶するに及んで、代わって角館を支配となった佐竹家に召抱え(66石)られ廃藩になるまで仕えた。この建物は江戸時代末期に改造され、屋根も茅葺から木羽葺にかわったが、角館の中級武士の生活様式を今に伝えている』 とあった。

母屋前から前庭に通じる脇門からは屋敷内に入ると、秋景色をいろどる栗、赤松、山モミジなどの樹木が多く、なかでも樹齢300年とも推定されている柏の巨木は秋田県内でも非常に珍しいといわれている。

母屋は、来客用の主玄関と家族が出入りする脇玄関が設えてあり、屋内は江戸時代の武家屋敷の面影を残している。 
だが、八畳間続きの居間や各部屋は上級武士としては質素な構えのようにも感じられた。



岩橋家は案内板にも記されているように戦国期から以来、芦名氏の重心として仕えている。 元より、芦名家は相模国三浦郡から興り、源頼朝の平泉征伐(奥州藤原氏)の際に功名を成し、1189年(文治5年)に会津の地を与えられた家柄で、14世紀後半に会津に下った後、黒川城(後の若松鶴ヶ城)を拠点に治世に努め、16世紀・芦名盛氏の頃には70万石の大大名として米沢・伊達家や常陸・佐竹家と並び称されるほどの力を有していた。

しかし、天正年間に伊達政宗との合戦(合戦名・・・)で大敗し、会津の戦国大名・芦名氏は滅亡して、実家縁者でもある佐竹家に戻ることになり、佐竹家の下、常陸・江戸崎城主となる。 (足名氏と江戸崎藩の詳細)

佐竹氏の与力家臣となっていた芦名氏(佐竹盛重、後に芦名と改名)は、関ヶ原の戦いでは兄・佐竹義宣と行動を共にしたが苦敗をなめ、除封されて義宣と共に出羽国(秋田県)に移ることになる。 

その翌年(1603)藩主・義宣は一族にそれぞれ城を与え、弟・盛重は角館城代として一万五千石(芦名家譜には一万六千石とある)を領し、名前を芦名義勝と改めている。
岩橋家は主家・芦名氏の浮沈の運命に翻弄されながら、忠臣として共に会津から常陸へ、そして秋田本藩(久保田藩)から角館支藩へと苦闘敗戦を伴いながら、芦名氏とともに転々と行動を共にしているのである。


因みに、藩主・義勝の2代目後継者・盛俊(義勝の庶子)は20歳で早世していたため、往年の会津・芦名家の再興の夢を失った家臣の落胆は大きく、特に、当主・岩橋又右衛門は盛俊の死の翌日に殉死したとされる。
更に、盛俊の没後、嫡子・千鶴丸(せんつるまる)が一才で後を継ぐが、三才で夭逝、全くの予期せぬ不運が続き、芦名家は1653年(承応2年)断絶したのである。

家臣は当然のことながら大きく減封処分され、左遷、或いは他家への出仕という道をとらされ路頭に迷った家臣団であるが、岩橋家は幸いその後の佐竹北家に慰留されている。
家臣・岩橋又右衛門の墓は盛俊と共に芦名家菩提寺・天寧寺に建つ。

江戸期の岩橋家は石高86石を有し、角館では上級武士の位置にあったという。


次回、「河原田家と小田野家



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東北紀行(60)角館 「青柳家」

『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
微少、微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。

被災者避難の皆さん、原発避難の皆さんへ全国(北海道から沖縄)の公営住宅、又、全国(北海道から沖縄)の公共住宅,UR機構(昔の公団),都道県市公社、官舎など、その他の公共的空住宅を行政、省庁、自治体が中心となって提供してやって下さい。
避難者近隣の銭湯、公共浴場、温泉施設など暖かい入浴を提供してやって下さい。
東北出身(いわき)の小生




 東北紀行(60)角館 「青柳家」  ,





青柳家の立看板の屋敷図


青柳家・薬医門<


青柳家展示品(元武家の様子が判る)




次に、石黒家の隣家に佇む「青柳家」を訪ねた。
更に、重装は薬医門を潜ると、屋敷の案内図が立っていた。 
屋敷内は一見するまでもなく、神社の境内のような鬱蒼とした大木が生い茂っている。
総敷地3000坪という巨大な御屋敷の中、母屋の他に武器蔵、青柳家ゆかりの古文書や絵画、

掛け軸などを展ずる「ミニ博物館」、郷士館、当時の武士の生活様式を伝える「道具蔵」、はては秋田の食文化を伝える食堂・「食彩館」やアンティーク逸品を展示する「ハイカラ館」といった建物が建つ。 

しかも庭園の中には小川が流れ、大元に神明水という清水が尽きることなく湧き出している。 
この小川は主家の裏山から数百年に亘って湧いているらしく、NHKのTV番組・「新日本紀行」でも放送されたという。


これらの建物群は、重要な古物である武具や古文書、史的遺品を収容するために後々に設えたものであるが、主家・母屋や医薬門は当時の姿をそのまま残されているもので、県の文化財にも指定されている。

特に医薬門は重厚なもので家の位や威信を表すものとされ、上級武士にしか許されない格調の高さは青柳家の誇りは勿論のこと、武家屋敷群の角館の象徴ともされているという。
これは藩への功績が認められた際、特別に作られたものであるとのこと。

又、主家は200年以上の歴史を保っているといわれ、寄棟萱葺き屋根は曲屋(かぎ形:直角に曲った平面をもつ民家)で、玄関、座敷の仕切り戸や欄間は武家の青柳家らしい独特の意匠を凝らしている。 
母屋、座敷は現存する角館の武家屋敷のなかで最も豪華だといわれる。
当家は、広大な屋敷と数多くの遺品の展示などで「角館の歴史村」とも言われているようだ。


青柳家は、元より戦国期から当主・佐竹義重に仕えていた。
佐竹 義重は戦国時代の常陸国の戦国大名で、常陸守護職家である佐竹氏第十八代当主であり、関東一の鉄砲隊を備えた別称・鬼義重、坂東太郎の異名を誇った。 
即ち、常陸・佐竹氏の全盛期を築き上げた人物で、経済力を築き、豊富な資金力を実現したという。

嫡男・義宣の時代、関ヶ原の戦いでは家臣の反対を押し切って西軍(三成方;中立という立場もある)寄りの立場を表明した。 
しかし、戦中の曖昧な態度を咎める名目で、常陸水戸54万石から出羽秋田(久保田藩)20万石へ減転封されることになる。

その後、義宣の弟・盛重(芦名家の跡取で芦名義勝と名乗る)に佐竹北家として「角館」を与え、その時、青柳家も盛重に随行、御徒組頭として60石(芦名家平均石高)が与えられている。

青柳家は廃嫡で芦名家が滅んだ後も佐竹家に仕え、更に新田開発や殖産を起こし度々藩、主君に御用金を献上、江戸中期には足軽組頭に昇格している。 
更に、幕末には150石を有して角館の資産家、名士となって歴史に名を残した。

1973年(昭和48年)県の史跡に指定され、平成元年、角館歴史資料館として公開されている。

次回、「岩崎家



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東北紀行(59)角館 「石黒家」

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 東北紀行(59)角館 「石黒家」  ,






石黒家薬医門






石黒家屋敷と庭園



最初に訪れた石黒家は町名が表町下丁にあたり、武家屋敷通りの北の端に位置する。
何れのお屋敷もそうであったが、先ず黒塀に接続している「薬医門」を潜ることになる。

薬医門には文化6年(江戸末期の1809年)4月27日と書かれた矢板があり、道路側にはのぞき窓も付けられている。
薬医門というのは民家の大きな屋敷や武家屋敷、小寺の入り口に立つ重厚な門のことを指しているようだ。 
そのいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い(やくい)」からきたという説と、又、かつて医者が優先的に通された門として使用したからとも云われる。 
建物様式は、しっかりした四本以上の柱を建て、切妻型の屋根を乗せた門のことを言うようである。


門を入ると直ぐに主家があって正玄関と脇玄関の二つが並んでいる。
こような玄関を持つのは当然ながら、身分の高い武士の家だという。 
玄関より主屋に通されると、いきなり座敷(部屋)の中でお客に向かって案内説明(ガイド)をしてくれている、これは有難い。 
特に予約が無くても随時、係員が丁寧に5分ほど行っているようだ。


床の間や書院、火灯窓(上部が曲線状になっている形の窓で、禅宗の建築様式とも言われる)、大台所がいかにも格式を表す。 
玄関に垂れる「枝垂れ桜」も風情があっていいが、奥庭の年輪を伺わせる樹木の配置も美的である。



石黒家は、財政勘定方の関係の役職で藩(佐竹北家)に仕えた家柄で、武家屋敷のなかでは現存する最も古いものという。 
モミや枝垂れ桜など樹齢250年を超える深い木立ちのなかに、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されている。

主屋の建築年代は、18世紀から19世紀にかけての頃と推定されていて、屋根は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が緑にしたたり、簡素なたたずまいが歴史を感じさせる。

次回、「青柳家



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 東北紀行(58)角館 「武家屋敷群」  ,











江戸期の武家屋敷群の黒塀としだれ桜(観光協会)




角館武家屋敷略図(提供者に感謝)



間もなく国道341号線に出て、更に生保内にて盛岡からの国道46号線にて角館へ向かった。
ご存知、角館は「江戸期の武家屋敷群」で有名なところで、特に、屋敷群もそうだが名物・枝垂れ桜の咲く春たけなわの頃は大勢の人々で賑わうところである。

玉川沿いに大きな駐車場があり、駐車場の中にお土産やが軒を並べる珍しい光景が見られた。
これより町並み、屋敷群に向かうが、この位置からだと広い道路が左右に広がり、道端は緑の大木が被さっていてシットリとしているが、何といっても秋枯れの風情で大きく枝を垂らした名物の「シダレザクラ」が特徴ある姿で覆っている。 


各家敷のシダレザクラは今から350年前、京都から迎えた「お姫さま」の道具の中にあった3本の苗木が最初で、それが元となって長い年月を経て、今日まで残る「角館のしだれ桜」になったと言われている。


幅を大きく取った左右の通路は北方向、そして南方向へ延びていて、更に、道路と屋敷群との境には「粋な黒塀」が施してあり、これが何ともいい風情をなしているのである。
北方向には歴史的な建物で、石黒家、青柳家、そして南方角には岩橋家、河原田、小野田家、そしてやや離れて松本家などの武家屋敷群が並んでいる。

先ず、北の「石黒家」から訪ねてみた。

次回、角館・「石黒家



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東北紀行(57)田沢湖 「クニマス」

『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
微少、微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。

周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。  
東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生





 東北紀行(57)田沢湖 「クニマス」   、





体長凡そ20cmの「クニマス」(動物図鑑)




ところで、クニマス(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた秋田藩主がクニマスを食べ、純粋な国産種の鱒ということから「国の鱒」と名付けられたといわれる。
先にも記したが、江戸初期に秋田藩主・佐竹義隆公が藩主としては最初に乳頭温泉・鶴の湯に入浴した記録が残されていて、その後も秋田藩・佐竹氏や佐竹北家(角館)の御用湯治場となっていた。 

温泉遊山の道々、田沢湖の秀麗な風景を堪能し、田沢湖産の魚類を食したことは当然でもあるが、その時、具体的に国鱒と命名したのは何代の藩主かは定かでない。 
しかし、これより以前に「クニマス」は「キノシリマス」(木の尻鱒;の語源は、辰子伝説の一つで、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところ魚の姿になったという伝承から名付けられた)とも呼ばれて、時期になるとこの魚を塩引きにして秋田の御屋形様へ献上し、更には飛脚で江戸藩邸へ移送していたらしい。

クニマス」は殿様の食膳にも上る御品で、下々では「ぜいたく品」であり「もったいない」とあってなかなか口にできないものであったらしい。 
湖岸の漁民も換金魚として大切に扱い、豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったという。 
大半は城下・角館町に売りに出されていて、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっており、一般の民が口にするのは大変なことで妊産婦か病人に限られていたという。


【追記】
このような絶滅した貴重な魚、70年前に完全に絶滅したとされたクニマスが、2010年に山梨県の西湖にて生存個体が確認されたという。
西湖の漁師は、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかったらしい。 
このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10匹に1匹程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」などと再発見説を唱える者がいたという。

きっかけは、京都大学の教授と我らが「さかなクン」のコンビネーションで、クニマスを見出しや発端となったらしい。 
イラストを書きながら「さかなクン」が妙に思って教授に話し、専門家に依頼して解剖や遺伝子解析を実施したところ、その結果が西湖の個体であるクニマスであることが判明し、70年ぶりに生存が確認されたという。


以前に、田沢湖では人工孵化の実験をするため、1935年ころであるが本栖湖、西湖、他にも琵琶湖に送ったという記録があるらしい。 
又、近年になって田沢湖町の観光協会では100万円、次には500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかったという。


クニマスの再発見の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、早速、「クニマス里帰りプロジェクト」を正発足させ、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画開始しているとのこと。

しかし、現在でも田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、単にクニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況にあるとされ、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針という。


今年(2010年)の今上天皇の誕生日(12月23日)にあたって、このたびの「クニマス」発見のニュースを聞いて、特別に「さかなクン」など関係者に対し、お言葉があった。

『 この生物多様性年も終わりに近い頃、日本の淡水魚が1種増えました。それは、最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが、昭和の10年代、田沢湖の水を発電に利用するとき、水量を多くするため、酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため、絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており、そこで繁殖して、今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います。クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され、近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに、この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授「さかなクン」はじめ多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。クニマスの今後については、これまで西湖漁業協同組合が西湖を管理して、クニマスが今日まで守られてきたことを考えると、現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方、クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることはぜひ必要です 』

次回、「角館



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東北紀行(56)田沢湖 「田沢湖」

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東北紀行(56)田沢湖 「田沢湖」 ,








田沢湖の展望地 (2枚、tga85 tga86)




乳頭温泉からの帰路、暫く進むうちに、来るときは気が付かなかったが田沢湖高原の一角に田沢湖を望む「黒森」という園地兼展望地があった。 
秋色濃い湖沼周辺も合わせて明美な風景が望まれた。
観光地でもある「田沢湖」は先般の東北旅行で立寄っているので今回は遠慮することにしている。

ところで田沢湖を著名ににしている一つに、田沢湖畔に佇む「たつこ像」の像が立っている。 チョッと艶っぽい全裸の像で、最近では“金ピカ“に輝いているという。

『 北方の海沿いに、「八郎潟」という湖がある。 ここには人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が棲んでいた。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟(現在大半は干拓で農地化されている;大潟村)は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという 』

田沢湖の最大深度は423.4mで日本第一位であることは周知である。 
第二位は支笏湖、第三位は十和田湖で、世界では17番目に深い湖である。(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。 そのためか日本のバイカル湖と呼ばれていた。


田沢湖には、ロマンチックな辰子姫の伝説物語の他に、悲劇的な現実のストリーがあった。
田沢湖の上流に有名な「玉川温泉」があり、強酸性泉としても知られる。 
戦前の昭和15年頃に発電及び農業振興の目的で、玉川温泉の温泉水が混じる玉川の水を田沢湖へ導水するというものであった。 
玉川温泉は源泉でのPH(酸、アルカリを示す指数、中性は7.0)は何と1.0というものであり、まさに塩酸そのもので、しかも97℃の水温で毎分4800Lという湧出量であった。 
その強酸性の温泉排水が流れる水は自然へ対して「玉川悪水」とよばれ、まさに生物の生存しない水であった。

発電事業のため玉川の水(温泉水)を田沢湖へ導水し、結果として湖水は酸性と化し、魚類はほぼ生存不可能となっていて、勿論、田沢湖固有の清流魚・『クニマス』(陸封魚の珍種)も絶滅したと言われている。
現在では、玉川温泉排水部分に中和処理施設が設置され、田沢湖の水質は以前よりは回復してきているが深度が余りに深い為、2000年の調査でも湖全体の回復には至っていないという。 現在、生息魚種はウグイ・ギンブナ・コイの三種類のみに限られていて、清流魚は生息していない。

次回、田沢湖の珍魚・「クニマス」



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東北紀行(55)乳頭温泉 「乳頭温泉郷の秘湯」

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 東北紀行(55)乳頭温泉 「乳頭温泉郷の秘湯」   、





乳頭温泉郷の概要地図  (tga80)



秘湯;乳頭温泉郷の一角には七つの一軒宿の温泉、すなわち孫六、黒湯、蟹場、鶴の湯、妙乃湯、大釜温泉など野趣満点の温泉がある。
尚、この温泉場は次回に訪問を予定にしているが、その内、温泉や建物等を比較して、秘湯中の秘湯といわれる二軒の温泉宿を紹介しておこう。 


「黒湯温泉」








乳頭温泉郷の「黒湯温泉」の様子  (tga81 tga82)


乳頭温泉郷の中では最も奥にあり、秘湯の代表として雑誌に紹介されることの多い宿である。
歴史も古く江戸時代から人々に親しまれてきた萱葺き屋根の湯治場で、その歴史も古く鶴の湯と同じく秋田藩主の湯治場として、又、地元の人々や山に入るマタギ達の、疲労回復や持病治療のための温泉として親しまれてきたという。

特に、黒湯温泉は打たせ湯が有名で、その様子がしばしばテレビや雑誌で紹介されている。
乳頭温泉の中ではもちろん、全国的にも人気が高い宿のようだ。
乳頭温泉の中では、鶴の湯が一番人気だが、かつては、ここ黒湯温泉が一番人気だったらしい。

建物の脇を通りぬけると、硫黄の噴出す河原の中に露天風呂があり、他にも屋根は茅葺きで柵も曲がった木でできていて、このワイルド(野性味)さがとても絵になっている。
浴槽は内風呂、露天風呂、女性専用露天風呂、打たせ湯なので、泉質は主に「単純硫化水素泉」  

但し、11月中旬~5月中句までの冬季積雪期間は休業らしい。


「孫六温泉」









乳頭温泉郷の「孫六温泉」の様子  (tga83 tga84)


当地を整備したのは自ら湯治に来た「田口久吉」という人物で、生来病弱だった彼が、江戸期の慶応末期に自ら温泉療法を始めて体質改善を果たし、広く世の患者に恩恵をもたらしたという。 
そして、その効能を知った田口は1906年(明治39年)に湯治場を開き、その後長く湯治場として営業してきたという。

現在も、山小屋風の一軒宿はひっそりと茂る林の中に在り、雰囲気がとても野趣満点でいかにも湯治場といった素朴な佇まいを有している。
泉質の違うラジウム含有泉をはじめ四ッの浴場と露天風呂がある湯治場で、乳頭温泉ではここが1番湯治と言う言葉が似合う宿とされ、別名、「山の薬湯」とも言われて湯治客も多くいる。

孫六温泉は、黒湯温泉または大釜温泉に車をおいて、ここから其々10分、15分歩いていくことになる。
簡素な宿舎や湯小屋が立ち並び、客室は15室、他に20名を収容できる自炊部がある。 
風呂は先達川の河畔に並び、全部で6ヵ所の内湯・露天風呂がある。

次回、「田沢湖


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東北紀行(54)乳頭温泉 「鶴の湯の歴史」

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 東北紀行(54)乳頭温泉 「鶴の湯の歴史」  ,






鶴の湯の入口付近 (tga72)



鶴の湯の宿泊棟 (tga74)



鶴の湯の宿舎の中で、本陣の建物は築100年以上のたたずまいをそのまま保存しているという。 
もっとも二棟あったものが20年前に豪雪でつぶれて一棟になってしまったともいうが。


鶴の湯そのものは300年から350年の歴史があるといい、伝承や由来記によると寛永15年(1638年)5月に秋田藩主・佐竹義隆公が湯治に訪れた記録があるという。

藩主・佐竹義隆の存命期間は1609年から1672年であり、二代目藩主に着位したのが1633年であるから、ほぼ開湯間もなくに訪れたことになり、整合性は取れていると思う。
それに、本居城・秋田(当時は久保田藩)から乳頭温泉までは概ね100km足らずで、しかも途中には「角館」(後ほど記載します)という佐竹家の支藩分家(佐竹北家)もあり、ここから乳頭温泉へは25km前後である。 


徳川の世も安定期に入りつつある当時、大沼(田沢湖)の向こうの山奥で珍しい温泉が湧いているらしいとの事が耳に入って、“それじゃ保養のためにも、出かけてみようか“ということになったのも頷ける。 
併せて、或いは角館・佐竹北藩の藩主、藩士たちも度々訪れ、湯治場としても利用されるようになったのは云うまでもない。 

その後、一般民衆も訪れるようになり、専門の湯宿場としては元禄期(1700年頃)には始まったとされている。  
そんな訳で、鶴の湯に「本陣」(殿様かそれに準じた者が泊まる宿; 江戸時代の宿で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡などが宿泊した公認の宿舎)という名が付いたのも納得がいくのいである。



余計ながら、久保田藩(秋田藩)の2代目藩主・「佐竹義隆」(旧姓は岩城氏)は、我が故郷、福島県いわき市、当時の岩城地方の名門の出である。 
秋田藩(久保田藩)の藩租・佐竹氏といい、いわきの岩城氏といい関が原の戦いで苦敗をなめた関東・常陸の名一族でもある。

詳しくは下記ホームページへどうぞ。
日本周遊紀行』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/
東北・いわき平』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-15-5.htm
秋田岩城・亀田地区』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-3-3.htm



鶴の湯温泉は秋田新幹線(田沢湖駅)からも近く、田沢湖から北東に距離で約10数km、車で30分ほどの所にある。
この鶴の湯は、乳頭山(標高1478m)の西側斜面に点在する七つの一軒宿の温泉、すなわち孫六、黒湯、蟹場、乳頭、妙乃湯、大釜とを併せた乳頭温泉郷の一つである。

敷地内に六ケ所の源泉があり、湧出時は無色透明であるが、時間の経過につれて次第に白濁するという。 
乳頭山の山裾から湧出している源泉は火山性の温泉らしいが有史以来の噴火の記録はない。 


浴室に掲示された白湯、黒湯、中の湯、滝の湯、鶴の湯などの源泉の分析書ではpH6~7とほぼ中性で、白濁ながらさっぱり、安心で誰でも気兼ねなく入れる。
泉質は成分、低張性中性高温泉の含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(旧泉質名・含硫黄・重曹ー食塩泉)が主体となっているが、特に臭み刺激臭である硫黄臭などはない。


鶴の湯情報

[宿泊定員数]  65人
[客室数]  35部屋
[温泉総利用量]  280㍑/分(源泉6ヶ所分)
[湧出状況]  自然湧出
[温度]  58.5℃(測定年月日 平成15年1月14日)
[湧出量]  60㍑/分(自噴量)
[引湯方法]  自然落差で30m引湯
[温泉の温度の調節方法]  木の樋で流して外気で温度を下げる

〒014-1204 秋田県仙北郡田沢湖町田沢字先達沢国有林50   
電話 0187-46-2139

次回、最後に「乳頭温泉郷の秘湯紹介



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東北紀行(53)乳頭温泉 「朝の鶴の湯」

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 東北紀行(53)乳頭温泉 「朝の鶴の湯」  ,





鶴の湯温泉棟など建物の配置(鶴の湯)




乳頭温泉の「鶴の湯」である。
 
翌朝、目覚ましに再び入浴す。 

小生ならずとも、旅先の温泉場では一泊につき三回温泉に浸かることにしているのが普通であろう。 
到着後の夕食前に浸かるのは当たり前であるが、その後、就寝前の気休めに一っ風呂浸かり、更に、朝の目覚めの顔洗いと頭スッキリさせるために浸かるのである。

6時頃には目が覚めて、例によって布団の中で目覚めの柔軟体操を10~15分ほど動かして、身体のウォーミングアップを行う。
部屋は既に暖房が入っていて暖かいが、外は降霜(こうそう)で真っ白である。 
鶴の湯最後の入浴なので、カメラを抱えて下駄っぱきでカラカラと出向いた。

先ず、小川に架かる小さな橋を渡った正面にある「白湯」、「黒湯」にて交互に浸かり、洗顔、目洗いをしながら体を覚醒させる。
おまけに、こちらには入浴客は一人も無く、気兼ねなく入浴できた。 
そして時折、カメラのシャッターを切る。


さて次にレイの大露天風呂である。
こちら(白湯、黒湯の脱衣所)に衣類をそののままにして、タオルで前を隠しながらイソイソと向かった。
既に熱った(ほてった)体であったが、早朝の冷気が皮膚を刺す。

大浴場は、湧き上がる湯気が大気に冷やされて、モウモウと白煙を吹き上げている。
さすがにこちらは人気の風呂場だけあって既に10数人が浸かっている様だ。 
女性の客も数人居るようであるが、湯気のモヤモヤがボンヤリとさせている。 

普段、女性にとっては余りの見通しの良さで、折角の名物野天風呂も敬遠しがちであるが、鶴の湯の今朝はモウモウとした自然の悪戯で余り気にしないで入れるようである。 
内の上さんも、いつの間にか中の湯からこちらに移ってきたようである。
身体にちょうど良い温めの湯は、いつまで浸かっていても飽きることなく、夢うつつになりながら長湯を満喫する。

湯上りに、今一度湯小屋や周辺の様子をカメラに収めながら朝食に着いた。
雰囲気の良い温泉に浸かって、すっかり体はリラックスしていて、胃袋のほうも受付OKであり、美味しく戴くことが出来た。
本日の行動予定もあるので余りのんびりも出来ず、あたふたと準備をして早速出立することにした。


ところで、乳頭温泉郷は鶴の湯の他にも、野性あふれる一軒宿の温泉が幾つか在るので、次の機会に期待を持ちながら鶴の湯を後にした。
途中、道路の左側にあった姉妹館の「山の宿」の様子を探りながら、林の中に収まっていて雰囲気の良い大柄な宿屋をカメラに収めた。




鶴の湯の離れ宿「山の宿」  (tga79)


山の宿」は、古色な木で建てた珍しい曲がり家の宿で、鶴の湯の別館として平成6年にオープンした比較的新しい温泉場である。
周辺は平坦な自然林の中にスッポと収まっていて、大自然の景観を散策しながら今頃は紅葉も味わえる。 

この辺りは乳頭山麓にも位置し、近くには広大な湿原があって尾瀬と並ぶ程の水芭蕉の群生地でもあるらしい。
温泉は最古の出湯といわれる秘湯・鶴の湯の乳白色の湯・「白湯」から導管で引いているらしい。 
尚、乳頭温泉郷の中でも貸切が出来る露天風呂はここだけだという。

次回、「鶴の湯の歴史



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東北紀行(52)乳頭温泉 「鶴の湯の宿」

『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
微少、微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。

周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。  
東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生




 東北紀行(52)乳頭温泉 「鶴の湯の宿」 





鶴の湯入口風景 (tga72)  



鶴の湯の入湯、宿泊受付 (tga73)



鶴の湯の湯屋から見た宿泊棟 (tga74)


ゆったり源泉回りをしているうちに、すっかり暗くなり夕食の時間も近づいているので、
そろそろ部屋に戻ることにする。
宿泊用の部屋は入り口正門から見て右側奥の2号館で、当館内では最も安値の8550円(1泊2日・2食付)ところであった。 ただ、前述したように鶴の湯へは平日であっても予約して泊まるだけで大変であり、この日も偶然にキャンセルが出て確保できた次第である。
部屋は六畳間一つでトイレも洗面も、そしてテレビも無いさっぱりしたものであった。 
年寄りにとってトイレや洗面が部屋に無いのは残念なような気もしたが、湯治場に来たと思えば納得である。
そも、旅に出てやれ風呂付だ、トイレ付だ、テレビ付だというのは贅沢であり、必要の無いことだとも思っている。 何も無い空っぽの部屋で、一人なら物思いに耽り、二人以上なら普段出来ない冷酒でも飲みながら普段出来ない会話を楽しむ。 
旅先ならこのぐらいの心の余裕が欲しいものである。

又、設備の整った部屋では、それだけ宿主も客人も割高になってしまい、経済的にも負担が大きくなってしまう。
鶴の湯全体では、これよりハイクラスの宿所もあるようだが、小生達にとってはこの部屋で十分であり、有難かったのである。


朝夕の食事は別棟・本陣で頂く。
山菜と川魚がメインで、量もたっぷり言うことなし。 時節柄、秋田の銘酒を熱燗で頂きながら、腹も身も満足満足。
部屋で暫く、温泉談義に花を咲かせ、就寝前にもう一っ風呂浴びる。
再び、白湯と黒湯にサーッと入って、後は、例の大野天風呂にゆったり浸かる。 ランプにホンノリと照らされススキの穂が揺れるなか、ほろ酔い気分も手伝って気分は最高潮である。
若いカップルが隅のほうで囁きあっている他、数人の客がいるのみである。 
気が付くと何時の間にやら上さんががにじり寄って来ていた。 肩が触れるほど横に並んで「いいわね・・!」としみじみ語る。
酒の勢いもあってか、左手で彼女の右ももをソッと撫でてやったが、素知らぬ振りをしている。
「イヤ、実に結構である・・!!」と思わずのたもうた。

翌朝、目覚ましに再び入浴す。 
小生ならずとも、旅先の温泉場では一泊につき三回温泉に浸かることにしているのが普通であろう。 到着後の夕食前に浸かるのは当たり前であるが、その後、就寝前の気休めに一っ風呂浸かり、更に、朝の目覚めの顔洗いと頭スッキリさせるために浸かるのである。




鶴の湯の本館と湯屋の間にある「くつろぎスペース」 (tga56)



鶴の湯は、秘湯中の秘湯で本当に結構、ケだらけであろうが、折角だからチョッと苦言も呈しておこう。
余に有名なためか、おばさん連等の団体客が些か騒々しい。 
特に、日中は日帰り客でいつでもザワザワしている様子で、中には見物、観光目的で来る人も多く、ゆっくりと、静かに温泉の雰囲気楽しみたいという御仁には、本当の意味での秘湯、静けさ、安らぎを求める人には向かない宿だとも思える。
営業重視でテレビや雑誌にガンガン取り上げられ、余りに有名になったため秘湯の湯もすっかり観光地化されすぎて、逆に敬遠する人もいるくらいである。

次回、朝の「鶴の湯」



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東北紀行(51)乳頭温泉 「鶴の湯の大露天風呂(2)」

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 東北紀行(51)乳頭温泉 「鶴の湯の大露天風呂(2)」  ,






鶴の湯の女性用露天風呂の入口風景 (tga69)






鶴の湯の風雅な女性用露天風呂
(下図、正面の石塔シンボルが気に掛かる・・?。 tga70 tga71)



混浴の大露天風呂の次に、女性専用の立派な露天風呂もあります。
こちら「鶴の湯」は、歴史ある温泉には珍しく女性の方には男性以上に気を配った風呂が充実しているようです。
まずは、女性の野天風呂の入り口は二つあって、白湯・黒湯の建屋の横を暖簾を潜って行く野天風呂専用の通路と黒湯の脱衣室からの入口があるようです。 ただ、専用入り口だと外で脱衣をしなければならず、黒湯の方から入るほうが無難らしい。

四角い木製の浴槽は、10数人入ってもゆったりしていて充分の広さである。
周囲は広々として目の前には鮮やかな野外模様が展開し、今はススキの穂が風情を出していてなんともいいらしい。 
鶴の湯温泉の女性の野天風呂(大白の湯ともいうらしい)は、完全な野外にあって浴槽の木の温もりもあり、温泉は若干温めで長時間に浸かれるのもいいという。


尚、こちらの混浴大露天風呂は旅行雑誌などのアンケートでは、温泉100選の「露天風呂の部」で第1位を獲得しているという。

結果、鶴の湯といい露天風呂といい、余に有名になりすぎて日帰り入浴客が多くなり、土日は勿論、平時でも大混雑するという。 
お風呂の規模に対して人が多すぎ、こうなると混浴風呂など気になってとても温泉情緒を味わう余裕は無いであろうとも。 ただ、あの有名な鶴の湯に行ってきました、という事実だけに成りかねないのである。

更に一言云うならば、ここの鶴の湯をはじめ乳頭温泉全般、ゆっくり湯に浸かって、のんびりする所であり、他の温泉街のように忙しく湯巡りなどをするところではないと感じ入っている次第である。


又、この温泉棟である外湯一帯は、野暮なシャワーつきの洗い場や洗剤、石鹸などは一つも置いて無く、とにかく、脱衣所もすべて簡素な木造りで、中には、ぶっつけで作ったような棚に脱衣籠が無造作に置かれているだけ。 
扇風機やドライヤーはおろか洗面台も時計もないという徹底ぶり。 
それに、入浴の心得だとか注意事項などの表示もなく、せいぜい盗難防止の注意だけ。

俗っぽいことは一切無く、それらが秘湯としての趣を一層増してくれているのである。 
とにかく浴衣を脱いでお湯につかる、 ただ、ひたすら浸かるだけ、浴びるだけなのである。それだけで満足なのである。

こちらは奥山の大自然の中にスッポリ治まっている天然秘湯であり、効能豊かな温泉で、しかも4種類とか6種類の源泉が体験できる貴重な源泉風呂なのである。
天然自然の中で「」を養い、温泉成分を体一杯に浴びるだけで十分すぎるのである。 

尚、泉質は含重曹・食塩硫化水素泉で、浴用の適応症は高血圧症、動脈硬化症、リユウマチ、糖尿病、皮膚病に、飲用適応症は糖尿病、慢性中毒、リユウマチ、通風、便秘など。
詳細は巻末に記載します。

次回、鶴の湯の宿




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東北紀行(50)乳頭温泉 「鶴の湯の大露天風呂」

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 東北紀行(50)乳頭温泉 「鶴の湯の大露天風呂」  ,














風雅な「鶴の湯」の大露天風呂 (tga66―68)



さて、大露天風呂であるが・・、

巨大な野天浴槽は「中の湯」の更衣室が入り口部分となっていて、女性の通浴口付近は狭くなっているて、奥へ行くに従って広さが増している。 
中心部に自然に出来ていたのか、或は人工的に人の手によって造り上げたのかは不明だが、程よく岩が湯面より突き出ていて、何ともいい造形美を形作っている。 

通路の縁(へり)には枯れた木を柱にした簡単な脱衣所があり、周りは時節柄ススキの穂が湯面に垂れ下がっていて、何れも良い風情を出しているのである。
浴槽の底には玉砂利が敷き詰めてあって、突き出た岩の周囲の底からは熱いぐらいの源泉が吹き出ている。

お湯は、文字通り乳頭から搾り出したような色で、湯温も申し分ないくらいの温めの温度であり、長時間浸かっていられるのが嬉しい。
湧き出す源泉を尻に感じながら、隣に浸かっている埼玉から来たという男性と、

「 いい湯ですね。やっと鶴の湯に来れましたよ 」
と伺いをたてると、

「 私も長い間の夢でしたが、ようやくそれが叶いました 」
と同様に、しみじみと湯に浸かりながら幸福感にも浸った様子で会話を交わした。


興味津々で周囲をキョロキョロしている時、女性側の露天からバスタオルを胸に当てた若い女性(・・?)が三人ほど、イソイソと入ってきた。 
前はともかく、女性の横のくびれた体のラインが見通せて、男たちは一瞬注目したほどだ。 ただ、湯の中に浸かってしまうと白濁しているため全く透けては見えない。 
これを取っても女性には優しく、好都合の温泉なのである。


ここ鶴の湯の「野天風呂」では人目を憚らない。
尚且つ、通路に面した丸見え浴槽でありながら「バスタオルを巻いての入浴はご遠慮ください」とか「水着は禁止」などといった野暮な表示はどこにも一切ない。 
普通なら湯が汚れるとか、風情を壊されたくないという理由で禁止しているところが多いはずである。

一方、近頃の温泉ブームでは混浴風呂が一種の「売り」となっていて、女性でも珍しがって嫌がる人は少ないとされる。 
それに、女性ならずとも本来の温泉好きには水着やタオル着用を嫌がる人もいるとも聞く。
だが、こちら鶴の湯では委細構わずどちらでもよろしい一方、女性の立場や心理をある程度は理解しているとも感じる。

ここ鶴の湯は、女性連は女性専用の「中の湯」から細長く通じているので、浸かりながら寄ってくれば、後は白濁しているので男供の妙な目も余り気にならず、悠々と浸かることも出来るのである。

何れにしても、確かにここの野天風呂は独特の趣があり、特に薄暗くなってからランタン(カンテラ)の明かり下、仲良く男女混合で湯に浸かるには最高の所であり、気分も上々である。 

次回も「大野天風呂」の続き



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東北紀行(49)乳頭温泉 「鶴の湯;中の湯」

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 東北紀行(49)乳頭温泉 「鶴の湯;中の湯」  ,





鶴の湯;中の湯の湯屋(通路左は大露天風呂;次回記載 tga77)



次に向かったのが「中の湯」である。 
メインの大露天風呂を挟んで反対側の最も奥まったところにある。 
大浴槽のすぐ奥にあって囲いや目隠しもなく、入浴客を眺めながら・・?通って行くので、初めて訪れる女性にはチョッとした抵抗が有るかもしれない。 
だが、こんなことは一切構わないのがこの「鶴の湯」のいいところでもある。 

ネットのコメントなどをみても女性からの苦情などは一切無く、それだけ自然の中の自然の振る舞いで、お客の方も俗界、俗世のことは気にしなくなるのである。




中の湯の男湯 (tga75)




中の湯の女性用露天風呂 (tga76)


この「中の湯」も男女別の内湯があり、特に女性用には更にその奥に、小ぶりながらの露天風呂がついていて、源泉は足元から湧き出てるいるという。 
そこには男女別の打たせ湯の形で「滝の湯」があり、置かれた椅子に座って肩や頭にで浴びる。
女性の「滝の湯」の傍には通用扉があって、鍵を開けると隣の大きな大露天風呂に続いているらしい。




鶴の湯の「滝の湯」 (tga78)


「中の湯」の男用の脱衣場所からすぐ横に内風呂があり、内風呂から大露天風呂へ通じている。
先ず、小ぶりな内風呂へ先ず浸かる。 
チョッと熱めだが、あえて言うならこの中ノ湯の内湯の湯が一番濃いようにも感じられるのは小生のみか・・?。 

因みに、中の湯は「眼っこの湯」とも呼ばれ、神経系統の病気や眼病に効き目があると案内にあった。 
小生、パソコンいじりが日常的になっていて、やや、目疲れの様子であり、目洗いを意識的にやってみた。
2~3回出入りして、次に、すぐそにに見えている大浴場の露天へ向かった。
大露天の入口のところにある滝の湯(打たせ湯)で1,2分頭を刺激して、いざ・・!本命へ。


いきなりジャボンと飛び込むと、そこには女性陣が5,6人浸かっていた。 
辺りは既に薄暗くなってきていて、よく見なければ男女の区別もつかないくらいである。 女性にとってはこれ以降の時間帯が、或は安心して入れるかもしれない。

そんなこと思っていると突然横に女性が、艶かしい女性がすぐ横にやってきた。 
ハテハテ、と振り向くと何と「内の上さん」であった。 
女性用の露天風呂から木戸一枚でこちらに来られるらしい。
暫く雑談しながら、上さんはもう一つの女性専用の露天風呂へ行くという。
そう、この女性専用の露天浴槽はここの反対側、小川に架かる橋の向こう側に在った。


女性専用の露天風呂は広々とした四角い湯船に、木製の板付けした床が周りに敷き詰めてある。 
お湯は、やや青味を帯びた白濁の湯が溢れていて表面に湯花が浮かび、浴槽の底は砂利になっていて、数箇所から気泡と共にお湯が自噴しているという。
周囲は山裾にススキの穂が揺れて、これ叉、野手満点で存分な風流であると。
以上は、上さんによる自己満足の弁である。

次回、鶴の湯の「大露天風呂



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東北紀行(48)乳頭温泉 「鶴の湯の白湯、黒湯」

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 東北紀行(48)乳頭温泉 「鶴の湯の白湯、黒湯」 








宿舎と温泉棟の間の休憩スペース(上2枚)tga55 tga56




先ず、宿泊棟1号館にある二つの内風呂に向かう。 
木の階段を上った2階部分に男女別の風呂があり、先ずザブン。 
次に、小川を跨いだ温泉棟の一角にも風呂があり、ここで浸かる。 

更に、入浴客が言うには、1号館から東本陣に行く廊下の下の方にも小さな露天風呂があるとのことで、早速、向かってみた。




宿泊棟一号館からの渡り廊下(tga57)



その露天風呂は、二人くらいしか入れない小さなものであるが、川を見ながら入浴できる抜群のロケーションである。 
ランプがぶる下がっていて、夜は明かりが灯るもとで、また一段と風情があると思われる。 静かに入浴できる隠れ湯のようですが、廊下から見えてしまいそうな場所でもある。 

出来れば上さんと二人きりでと思ったが・・?。
ここ一号館の湯は、外の温泉棟と同じ泉質の黒湯と白湯が引いてあるらしいが、但し、こちらは宿泊者専用なので、日帰り入浴の客には開放していないようだ。





男女別白湯・黒湯の入口玄関(tga58)





白湯・黒湯の脱衣室(tga59 男)






鶴の湯白湯の浴槽(tga60 tga61 2枚)、






黒湯の浴槽(tga62)



次に、小川(湯ノ沢)に架かる小さな橋を渡った正面に男女別の白湯、黒湯がある。 
入り口上に掛かる木製の風情のある看板が何ともいい。
白湯と黒湯は男湯も女湯も浴室の雰囲気は同じような感じで、広くはないが、木造で雰囲気が良い。 

白湯というのはその名の通り、濃い乳白色の湯で、別名(愛称・・?)冷えの湯というが、どちらかというと熱め(本当は上がった後さっぱりするので、冷えの湯というらしい)。
一方、黒湯は実際に黒いのではなく、白味の薄い灰色がかった湯で、温めでとろりとした感触であり、泉質的にはゆっくり入りたい感じである。 
何れも脱衣所は一緒であるが、湯室、湯船は左右のいちにあって引き戸で仕切ってある。

次回、鶴の湯の 「中の湯」


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東北紀行(47)乳頭温泉 「鶴の湯」

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 東北紀行(47)乳頭温泉 「鶴の湯」  ,









乳頭温泉「鶴の湯」の入り口付近





紅葉が深まる中、色付いたブナ林の中に立つ「鶴の湯」は、七つの一軒宿が点在する乳頭温泉郷のなかで一軒だけ奥まって離れたところに建っている。

入り口は時代劇に出てきそうな陣屋風の構えで、期待を一段と膨らましてくれる。 
このあたりの雰囲気を上手に残しているのが人気の秘訣なのだろう。

乳頭温泉というとすぐ「鶴の湯」という響きがあるように、少し前の秘湯ブームのころは渋滞するほど混んでいたと言われるが、今でも人気は衰えず四季を通じて大勢の人が押し寄せて来るようだ。 
又、雑誌やテレビの旅や温泉番組でもしょっちゅう紹介されているので記憶にも残っている温泉場でもある。
従って、平日でも宿を取るのが一苦労であった。


鶴の湯には過去に一度、東北旅行の際、一泊予定の宿泊予約を入れてみたが、どうしてもゲットすることが出来なかった事実があった。 
数ヶ月前から予約の電話をしたが、人気があるせいか電話がつながりにくく、やっとつながっても、部屋がもう空いていないということが何度もあったのである。
そして今回、1ヶ月ほど前にダメもとで予約をトライしてみたところ、なんと希望どおりすんなり予約確認でき、逆にこちらがびっくりしたほどであった。

元より、鶴の湯は普段からとても立寄り入浴客が多く、落ち着いて入れるようなものではない、という情報は得ていた。 
従って、立寄り客が引けた後に宿泊すれば、落ち着いて温泉が十分楽しめるということも知っていたし、また以前から鶴の湯には一度泊まってみたいとも思っていたのであった。



ゲートをくぐるとすぐその名も「本陣」という名の建物もあり、その他の宿泊棟や温泉小屋の建物も、萱葺き屋根に黒光りした木の壁など、時代がかっているのが何とも日本人としての郷愁を感じるのである。

その本陣という建物の奥まったところに鶴の湯事務所があり、部屋の紹介と食事、お風呂の案内等を伺って、先ずは早速風呂へと急いだ。 
温泉浴場の案内を一応、聞いたが、浴槽の数が多く理解不十分であったので、今一度係員を呼んでじっくりと聞く始末であった。


何はともあれ、温泉、源泉目的でこんな山奥の宿へやって来たので、何時ものことながら全ての浴槽を体験、体感として全制覇することにした。

次回も「鶴の湯」



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東北紀行(46)乳頭温泉郷 「秋田街道」

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  東北紀行(46)乳頭温泉郷 「秋田街道」   ,




 小岩井農場と岩手山




本来、結構な雰囲気でのんびり、ゆったりしたいところだが、この後の予定地(宿泊地;秋田・乳頭温泉郷鶴の湯」)もあるので先を急いだ。


この地、大沢温泉から秋田・乳頭温泉へ行くのには二つのルートがあった。 
このまま山沿いの道、県道12号線と県線1号線を走り継いで雫石へ向かうのと、東北道を盛岡へ出て国道46号線を田沢湖方面へ向かう方法である。
しかし、山沿いの道は峠を二つ以上も越えるようで、しかも、山道の道路状態がどのようになっているか不安の面もあった。 
宿の係りの人に伺いを立てたら、「山道は上下曲折も多く状態はも余り良くなく、時間の事を考えると高速道の方が無難である」との返事であった。



我らは再び東北道をひた走り、盛岡から岩手山を遠望し、有名な「小岩井農場」やスキー場でも名の知れた雫石をを横目に見ながら、田沢湖、乳頭温泉郷へ向かった。

染み渡った青空に、錦秋の色模様が周囲の山間に照り映えている。 
その小岩井農場の向こうには岩手の名峰・岩手山が天を指していた。
時間があれば人気の小岩井農場を覗いて、搾り牛乳でも戴こうと思っていたが、余の広さと時間的制約で省略した。


気が付いたが、 「小岩井」という名称については、地域名でなく小野、岩崎、井上の三者の頭文字であった。 
その中で岩崎というのは三菱会社社長の岩崎弥之助といって、三菱の二代目の総帥であり、創業者・岩崎弥太郎の弟に当たる人物であった。 
その後。岩崎家が買取り、戦前は競走馬の育成で名馬を多数輩出したという。
因みに、宮沢賢治もこの農場やその周辺の景観を愛好し、しばしば散策もしたという。 
中でも良く知られる長編の詩集『春と修羅』に収録されているのは「小岩井農場」が元になったともいう。



岩手と秋田の県境でもある「仙岩トンネル」を抜けると、間もなく田沢湖界隈につく。 
それより標識に従って乳頭温泉郷へは秋田駒ケ岳や乳頭山の山懐へ向けて突き進む。
途中、水沢温泉郷といって山裾に転々と小規模な旅館やペンションのような建物が立つ。 
正面には比較的規模大きい田沢湖スキー場のゲレンデが広がり、その上に秋田駒ケ岳の勇姿が望める。 
これらの旅館群は、スキー客の宿泊施設を兼ねているのかも知れない。


車道はこれより左手の乳頭方面へ急坂を曲折しながら上ってゆく。 
原始林がいよいよ深くなり、山懐も深くなったところで案内板が現われと、乳頭温泉の一角へ達したようである。

直進すると大釜、蟹場、孫六、黒湯温泉といった野趣豊かな一軒宿の温泉場が存在する。
我らは「鶴の湯」へ向かうので、分岐された左手の方向へ進む。 
途中、鶴の湯別館の「山の宿」を右に見ながら、ダート(未舗装の道、砂利道)の道の行き止まりに陣屋風の「鶴の湯」があった。

次回、乳頭温泉 「鶴の湯



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東北紀行(45)花巻 「花巻温泉郷」

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 東北紀行(45)花巻 「花巻温泉郷」  ,








大沢温泉の全容と川を渡った離れにある情緒たっぷりの「菊水館」



少年の頃、宮沢賢治は信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった「大沢温泉」に何度となく訪れていて、学生時代には悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話も残っているという。

又、岳温泉の項でも紹介したが、昭和20年空襲で東京のアトリエを焼失した光太郎は、賢治の父を頼り、弟の家に一時厄介になるが、やがて花巻郊外の山口地区に庵を結び、以後7年間過ごすことになる。 
そして、この地は大沢温泉へも5~6km足らずのところでもあり、のんびり歩いても行けるところである。


光太郎は花巻を愛し、大沢温泉を日常的に利用していたとも思われ、「この大沢こそ本当の温泉の昧がする」と喜んでいたのである。
尚、延暦年間(約1200年前)に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が陸奥の国に遠征の際、この地に赴き(花巻の南、現、奥州市の胆沢城に本拠を置いていたとされる)、合戦の際、蝦夷軍の毒矢に負傷したが、大沢の湯に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説もある。

 


ところで、岩手県の花巻温泉というと、普通、温泉一帯つまり花巻温泉郷を指している。
温泉郷」というのは、普通、限定された地域に温泉が各地に湧出し、その地に温泉街や数件の温泉宿を有する地又は一軒宿の温泉名を有する地を云っている。 
ただ、温泉郷という呼び名は正式な名称ではなく、観光ガイドなどに用いられる営業用の表現らしい。 
昔は、箱根七湯とか別府十湯の様に名数で表したのが主流であったとか。 
ただ、花巻温泉郷には実際に「花巻温泉」という名称が一部地域にある。


花巻温泉郷は、花巻市街地の西部(国道や鉄道の西側)に位置する温泉の総称であり、豊沢川沿いに先ず八湯が存在する。 松倉温泉、志戸平温泉、渡り温泉、山の神温泉、高倉山温泉、鉛温泉、新鉛温泉それに大沢温泉と個性豊かな一軒宿が点在し、その名も花巻南温泉郷と称している。

一方、花巻市街地のすぐ西側には花巻温泉、台温泉と新湯本温泉、金矢温泉などが存在する。
その名も「花巻温泉」は山間に近代的な豪華なホテルなどが数軒並び、旅行会社や団体客向けに利用されているようだ。 一方、台温泉は台川沿いの谷間に約20件の鄙びた旅館がひしめくように建っている。
何れにしても花巻温泉郷は歴史ある鄙びた一軒宿の温泉から豪華ホテルまで、特色ある温泉地が点在しているところが良い。

次回、「錦秋の岩手路



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東北紀行(44)花巻 「大沢温泉の客人」

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 東北紀行(44)花巻 「大沢温泉の客人」  ,











大沢温泉の大露天風呂「大沢の湯」



露天風呂に浸かりながら・・!  、

すぐ横に浸かっている御老体(失礼ながら・・、小生も)に、橋の上を行き交う人を見ながら、何気なく話しかけてみた。

いやー、最高ですね。 そんでも、ここは橋やら上(菊水館)の部屋から丸見えですね。」
何事も自然が一番すよ、 見られても別に減るもんでもないしね・・!、でも、女性の方はどうなんですかね・・?」
ごもっともですね

と淡々としたもんであった。 
野暮なことを聞いたもんだなと、妙な気持ちになった。


客人は東京在住の職人で、ここの温泉が気に入って数回来ているという。 
新幹線で来るとすぐだからね。 ただ今回が最後になるかもしれない」という。 
仕事は若いもんに譲って、実家の長崎県島原(現、南島原市深江町)に帰るという。 

実家は雲仙普賢岳の噴火(1991年:平成3年6月3日の大火砕流で人命、生活環境の大災害)でかなりの影響があり、周辺の家々はほとんどやられたといっていたが、御自身の家は高台に在ったため破壊は逃れたという。 


小生も「日本一周の旅」で島原を訪れたおり、その惨状は目の当たりにしている。

小生のホームページ
日本周遊紀行」 http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/
九州・島原」 http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/nn-12.HTM



他の入浴客も混じって、温泉に浸かりながら各地の名物温泉の話、郷土の四方山話など、このついつい長話になってしまった。


多数の浴槽を持つ大沢温泉であり、出来れば全部の浴槽を制覇したかったが、時間の都合で大露天風呂のみの入浴のみとなってしまったのは残念であった。 
この後、秋田の乳頭温泉(鶴の湯)まで行かねばならないのである。

泉質についてはアルカリ性単純温泉ということで無色透明、無味無臭であり、特に、特徴ある、個性のある泉質は有していないようではある。 
温泉の管理人も、単純泉というのはいろいろな成分が僅かずつ溶け込んではいるが、その中で突出した成分は含まれてはいないともいっている。
温泉効果はともかくも、これだけの自然の中で雰囲気を堪能すれば、癒し効果は充分である。


大沢温泉といえば、名物露天風呂の「大沢の湯」が大変に有名らしいが、長い歴史の中で多くの人に認められて来たからこそで、現在の知名度があるのだろう。 
その本当の素晴らしさを知るには、やはり自炊部棟に宿泊して温泉を堪能するのが最適なのは云うまでもない。
歴史的にも、先日訪れた「岳温泉」同様、平安時代初期に坂上田村麻呂が発見したと伝えられてるという。

江戸時代には歴代の南部藩主も利用したといわれ、また、宮沢賢治、高村光太郎らの文人もよく利用したという。

賢治は農学校の教員時代に生徒を連れて訪れたこともあったらしく、又、光太郎はこの温泉を「本当の温泉の味がする」と評したともいう。

次回、「花巻温泉郷



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東北紀行(43)花巻 「大沢温泉」




東北紀行(43)花巻 「大沢温泉」  、







大沢の表模様



新渡戸稲造記念館を後にして、我らは花巻温泉郷一つ、「大沢温泉」(立寄り湯)へ向かう。
特に、大沢温泉を選んだ理由は、花巻温泉郷の十幾つある温泉の中で、一軒宿風で川沿いに面し、大きな露天風呂があり、雰囲気もとても良いという評判であったこと。
それに宮沢賢治や高村光太郎も訪れているらしく、由緒ある温泉であることと自認したことであった。

国道283号線を花巻市外へ向け、更に、東北道・花巻南ICの南を走る県道12号線を西へ、道沿いの松倉温泉や渡り温泉を通過して、新渡戸記念館から凡そ15分ほどで大沢温泉に着いた。
この先にも、やはり道沿い、豊沢川沿いに「高倉山」、「」、「新鉛」といった鄙びた温泉が並び、「花巻南温泉峡」とも呼ばれている。
尚、途中、左手の山口地区に高村光太郎の山荘や記念館があったが、時間の都合で次回見学とした。


大沢温泉は道路右を豊沢川に向かって下りてゆく。 
駐車場のすぐ向こうに水車がありお宮もあって、いやが上にも雰囲気を醸し出している。
すぐ下の方に大きな建物が二棟立っていて、上が新館の(山水閣)、下の川沿いには旅館部の菊水館と湯治場である「自炊部」という名の古色な木造建てが建っていた。 
一軒宿と言うには、かなり大きな規模に先ず吃驚である。
特に、自炊部と菊水館は綺麗な川面を見下ろす好立地にあり、築300年という永年の歴史があり、重厚な建物はレトロな雰囲気満点で旅心、気分が盛り上がって来るようだ。


受付するため自炊部の正面玄関を潜る。
立寄り湯をお願いすると、青年(ここの主らしい)が丁寧に応対してくれる。 
何しろ浴場だけで大露天風呂をはじめ充分な浴槽が七箇所もあるのだ。
正面受付の右横には大層広い畳の休憩所があり、隅には古色な家具が実に良い雰囲気であり、客の待ち合わせにも利用されている。 フロントの左手には自炊館らしく生鮮野菜なども置く大きな売店や食堂もある。

思えば昼時はとっくに過ぎていたので、食事処「やはぎ」で地元の十割ソバと缶ビールで腹ごしらえを済ます。 
食堂は朝早く(七時半)から夜遅く(九時)まで営業しているので、自炊泊まりで食事を作るのが面倒な御仁にはうってつけであろう。



軽い食事を済ませて、イザ温泉へ突入・・!。

自炊の宿舎棟の長い廊下から、更に川原へ向かって雰囲気のいい階段を下ると
川沿いの大露天風呂・「大沢の湯」(混浴)へ、上さんは女性専用の「かわべの湯」へ向かった。 

川のせせらぎと川面をわたる涼風が実に心地いい。 
上の菊水館へ通じる「曲がり橋」やその向こうに水車が見えていて、これまた、実にいい雰囲気を醸しだしている。
紅葉には未だ少し間があるらしく、川岸に繁る楓の葉も未だ緑をしたためている。

いやー・・!、実に湯ったり、湯ったり』 

気がつくと、露天風呂であろうとも浴槽は外から見えぬよう、目隠しをされているのが普通であろう。 
しかし、ここ大沢温泉はそんなことは委細には構わず自然のままなのである。 
すぐそこの橋や菊水館の各部屋から丸見えなのである。

結構、けっこう、」


次回、「温泉の客人



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東北紀行(42)花巻 「花巻の三偉人」

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東北紀行(42)花巻 「花巻の三偉人」 ,















花巻の三偉人(写真上から)
宮沢賢治:1896年生・37歳、新渡戸稲造:1862年生・71歳、高村光太郎:1896年生・72歳、


両記念館を見学するに及んで学問や思考、哲学が両人とも究めて深慮であったことは何人も認めるところであるが、その方向性が好対照的なのに興味を覚えた。

宮沢賢治が究極の内向的志向を昇華した人物に対して、新渡戸稲造は身を外へ外へと向かわせた外向的志向で国際的に活躍した人であり、その対極的なところが面白いのである。 
また、花巻の同地域の出身で、しかも同時期に偉大なる足跡を残したことに対し、花巻ならずとも南部・岩手県民としての人間の質の高さが伺えるのである。


そういえば、宮沢賢治は自分の故郷・「いわて」を「イーハトーブ」称していた。
イーハトーブとは、「いわて」、「いはて」をもじってつくられた造語ともいわれ、賢治の心象の中にある理想郷を指す言葉であった。 
尚、「イーハトーブ」の名称の謂れは後世の人たちによって色んな解釈があるようだ。


又、新渡戸稲造が生涯を71歳(昭和8年死去)という、当時としては日本人の平均寿命(昭和初期では男子で45歳前後)と比較するとかなりの長寿を全うしている。 
それに対して宮沢賢治は37歳という悲運の短命で生涯をとじている。(昭和8年死去、奇しくも新渡戸氏とは同年) 

僅か20年たらずでこれだけの偉業、大業を成し遂げているのであり、“れば”、”たら“になるが、もし、あと10年、20年存命していたら、遥かに稀有壮大な、計り知れないほどの功績を残す人物になっていたと想像してしまうのである。

それにしても、宮沢賢治に「天二物を与えず」という諺は相応しくないかもしれないが、才子多病、佳人薄命でありすぎた。


尚、高村光太郎については妻・智恵子のことで、二本松や安達太良の項で記載したが、ここ花巻市内に記念館(高村山荘 高村記念館)があった。

芸術家・高村光太郎が花巻にて過ごしたのは、戦争も終わりに近い昭和20年、以前から知己の間柄だった宮沢賢治を頼り、賢治の弟の家に疎開してきていたという。 
滞在期間は7年間に及び、後に、太田村山口(花巻市山口)に庵を設け、農耕自炊の生活を始めた。 
これが現在の「高村山荘」であり、この山荘から少し離れた木立のなかに高村記念館が建っているという。
館内には十和田湖の「裸婦像」の原型や妻・智恵子作の切りぬき絵などの作品のほか、智恵子とのスナップ写真や愛用品などの遺品など約130点余が展示されているという。

次回、花巻 「大沢温泉



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東北紀行(41)花巻 「新渡戸稲造の人物像」

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 東北紀行(41)花巻 「新渡戸稲造の人物像」   、











「五千円札」の肖像画で有名な新渡戸稲造である・・!

稲造は9歳 で上京し、13歳で東京英語学校に学び その後、札幌に農学校(北海道大学)が設立されたのを聞いて、 同じ学校で学んでいた内村鑑三らと共に 第2期生として入学する。
それは、W・S・クラーク博士が、札幌農学校 の教え子らに、 " Boys, be ambitious!  "(青年よ、大志を抱け!) と言ったことに感化されたともいう。

札幌農学校を卒業した新渡戸先生は、 明治16年(1883年)、東京大学に入学する。
志は「私は太平洋の橋になりたい」 、 「西洋の思想を日本に伝え、東洋の思想を西洋に伝える橋になる」 という思考の基に、天から与えられた使命として、外事事情に生涯を捧げる。

後に、アメリカやドイツに留学し、幅広い学問を修め、 当時の日本人としては珍しいほど、豊かな 国際性を身につけ、1919年には 豊かな国際性と学識のゆえに 、台湾総統の下の台湾殖産に携わり、遂に日本代表として国際連盟事務次長 に推薦されるに到る。


又、新渡戸氏は日本統治下にあった「台湾」の発展に尽力した一人であった。
明治中期、日本の台湾統治に当って日露戦争でも活躍した児玉源太郎は先ず、後藤新平(後の東京市 長)を民政長官に起用した。 
其の後、児玉と後藤が台湾農業振興のために、三顧の礼で迎えたのが、日本で最初の農学博士・新渡戸稲造であった。

新渡戸は半年かけて台湾全土を巡り、製糖産業に目をつけた。 そして品種改良、耕作方法、加工法の改善に取り組んだ。  
この努力が実り、1900年に3万トンだった産糖は、1940年には160万トンとなり、台湾は世界有数の生産地となった。 
併せて、農業政策や農業青年の教育に力を尽くし、特に、台湾での起業を後押しする目的で設立された東洋殖民専門学校の理事に就任、現在の拓殖大学の礎をつくった。



新渡戸氏は以上のような国際人である傍ら、同時に「武士道」を書いた愛国者でもあった。
その 代表的著書である『武士道』 を世界に紹介、日本精神を世界に紹介するために、本は英語でも書かれている。


昭和初期、軍部が台頭し軍国思想が勢いを 増してゆく 。
そんな時勢、新渡戸稲造は日本の前途を憂い 、 「我が国を滅ぼすものは 共産党と軍閥である」 と語り、批判を浴びながらも国内が軍勢の色濃くなるのを憂う。

昭和天皇は新渡戸氏を深く信頼し、幾度か宮中に呼ばれ てアメリカの情勢を尋ねる 。
氏は 天皇のご意向を受け 、日米戦争を回避する ためにアメリカに渡り 、日本の立場を訴える 。 
しかし、 アメリカからは理解されず 、その心境を歌に詠んでいる。


『 折らば折れ 折れし梅の枝 折れてこそ
            花に色香を いとど添うらん
 』


翌年(1933年)、 太平洋会議に出席するが帰路、病に倒れ 、バンクーバー市の 近くのビクトリアにおいて 、愛妻メアリーに看取られつつ71歳で死去する 。
新渡戸稲造農学者、農政家、法学者、教育家の顔を持ち、農学、法学、哲学の博士号を得ている。
尚、生誕の地である盛岡市と客死したビクトリア市は、新渡戸稲造が縁となって現在姉妹都市を結んでいるという。

次回、「花巻の三偉人



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東北紀行(40)花巻 「新渡戸記念館」

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 東北紀行(40)花巻 「新渡戸記念館」  ,









花巻新渡戸記念館と展示品



次に、我らは「花巻・新渡戸記念館」に向かった。

宮沢賢治記念館からいったん国道283号線へ出る。 すぐ南の平穏な地、形よく造園された庭園の一角に新装な建物があった。
宮沢賢治記念館の合わせて2館共通の入館券で入場できた。
宮沢賢治記念館では多くの人で賑わって・・?いたが、こちらは小生夫婦の他に2~3組でひっそりとしていたが。 

記念館は、新渡戸氏が二百年以上にわたって居住していた屋敷跡に建てられているという。 又、この地は新渡戸氏が江戸期の新田開発などで地域に大きく貢献したところでもある。
展示室には、「武士としての新渡戸氏」、「新渡戸氏と信仰」、「新渡戸氏と新田開発」を3本の柱として、新渡戸家の武家としての甲冑・刀・槍などの資料や、新渡戸家の信仰に関する御堂や関係品、更に新田開発の資料、映像などが展示されている。 
又、生涯を国際平和と教育に尽くした外交官・新渡戸稲造博士としても紹介展示されている。



新渡戸氏の家系  、

先ず、新渡戸氏には壮大なる家系史があった。
新渡戸氏は、房州・千葉氏の流れでそのルーツは約800年まえにさかのぼるという。
平安初期、奥州藤原氏の変において、源頼朝の命で千葉上総介常胤は陸前浜街道の一軍の大将として一族(下総、常陸)の武士を従えていた。
この時、下野国の「新渡戸」おいて常胤の孫が藤原軍の一隊を破り、その功により頼朝より下野国、新渡戸の郷一帯を賜ったとされる。
その後、新渡戸の郷に居城し、その地にちなんで姓を千葉から「新渡戸」と名乗ったという。


以来、戦国末期から江戸期の慶長年間、三十三代・新渡戸春治に至り、徳川の治世になって、岩手・南部公に仕えるようになって盛岡藩士となり、現在の花巻市高松安野に住み高松村を知行したという。
以降、230年の間、新渡戸家は花巻の地に居住し、花巻城士の文武両道にわたる指導、新田開発に情熱を傾けた。 

又、新渡戸家は信仰心も厚く、稲荷信仰、観音信仰を心の糧とし現在、新渡戸家屋敷跡に石碑や同家の氏神でもある稲荷神社も奉ってある。
そして、この地に記念館を創設、記念展示品の中に観音堂やその一部も展示されている。


稲造自身は、「盛岡」で生を受けている。
新渡戸家は代々、南部藩の藩士の家柄で、特に父は藩主・南部利剛(としひさ;盛岡藩の14代藩主)の用人(主君の用向きを伝達したり、庶務を司る役目)を勤めた新渡戸十次郎常訓であり、稲造はその三男として生まれる。
42代・常訓(つねのり)は本家・花巻城で生まれ、43代の長子が早世したため弟の稲造が44代となり新渡戸の本家を継いでいる。

尚、稲造の祖父である41代・常澄は、青森県十和田市三本木の開拓に精魂を傾け、現在十和田市の新渡戸家は分家として現在に継がれているという。 
十和田市にも「新渡戸記念館」がある。

次回、更に「稲造の人物像


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