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東北紀行(81)銀山温泉 「小関館」

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『東日本大震災』に遭われだ被災者の皆さん、東北人魂で一日(いじんち)も早い復興さ祈っからね。
全国の皆んな・・!!、東北は「素晴らしい大自然、観光名所、温泉、祭」と見所が一杯有るだよ。 G・Wは「東北地方」さ、旅行にでかけっぺ。
東北・いわき出身の小生



 東北紀行(81)銀山温泉 「小関館」 



「湯けむり」が導くロマンチックストーリー・・・、

銀山温泉の温泉街を形づくる旅館は10軒強と決して多くはないが、実際に大正時代から建つ建物だけでなく、後から増築や改築などを行う場合でも正面付近は大正時代の雰囲気を保つように配慮されているようである。

逆に、奥の方の間取りや水周りの設備、昇降施設などは近代的に整えつつあるようで、現に能登屋などは上り下りのエレベーターやシステムバスなども設置されているようである。

従って、湯治場風に昔の面影をそっくり残していて、軋む廊下や磨り減った階段、障子を開くと殺風景な部屋など、今で言う不便さを厭わないノスタルジックな様相を期待すると裏切られることもありそうだ。

銀山温泉の大小を問わない宿泊所は、大方、食事つきのそこそこのサービスで、値段もそこそこになっているのである。




昔の姿を留める・・?、「小関館」



但し、小関館は木造三階建で、館内は時代劇に出てくる旅籠のような感じだという。
床も軋むし、お隣さんとはふすま1枚で仕切っただけの部屋で、館内全体が往時のままの姿であるという。 
プライバシーなど関係なく、昔も面影を懐かしみ、旅にロマンを感じたい人にはお勧めかもしれない。

ところが、レトロな銀山温泉の代表格とされ、内外とも惚れ惚れするような佇まいの小関館は、玄関先に「休業」という手書きの張り紙がしてあった。 
但し、歓迎の看板には「日帰り入浴歓迎します」と書かれていた。 


近年まではごく普通の宿であったが、いつの間にか立寄り「のみ」、日帰り温泉客のみの休憩施設になってしまったらしい。

旅心をもつ人々に好かれた宿も、現代版、普通の観光客の所謂、苦情やコメントには対応しきれなくなったのかもしれない。 
或は、改装、改築のための一時休業か・・?定かではない。

次回、銀山温泉の足湯・「和楽足湯




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東北紀行(80)銀山温泉 「能登屋」

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 東北紀行(80)銀山温泉 「能登屋」 






銀山温泉老舗の「能登屋」




  開祖・木戸佐左エ門の鏝絵



気が付くと、能登屋は現在工事中で足場や被幕おおわれていて、『 当館では今年7月1日より来年4月頃までの間、本館改装及び別館改築工事を行ないます。その為、この期間は全面休業させていただきます。 本館建築から90年近くの時間が経ちました。文化財の建物を大事に営業してまいりましたが、年を経つにつれ、設備等の老朽化も目立ちはじめておりました。先々代が残したこの建物を、これから50年100年と残して行くためにも、一度しっかりと補修する時間が必要だと考えた次第です。』と記されている。

それでも玄関周辺や概ね外側の様子は伺える。 
特に外形景観としては、登録有形文化財に指定されている「能登屋旅館」の本館がいちばん立派で、素晴らしく感じた。


能登屋の特徴的なのが建物正面横に大きく「木戸佐左エ門」と鏝絵の看板が掲げられている。 
尤も、宿の軒下には木戸佐左エ門の他にも「旅館水沢平八」などと名前を書いた看板がけっこう有る。 
昔の湯治宿はどこも主人の名前で呼ばれ、今もその名残を掲げているのが面白い。

木戸佐左エ門というのは、能登屋旅館創業時の当主の名前とのことで、その昔、銀山がにぎわっていた頃に北陸地方出身の方が多かったことから屋号として「能登」の名前を使ったといわれる。

入口の周りの2本の柱頭に洋風オーダーの装飾が見られ、これらも鏝絵で作者は鏝絵の中に書かれているサインから大石田の「玉舟」という左官職人だといわれる。 
玉舟は伊豆松崎の入江長八に弟子入りし、大正末期から昭和初期に大石田・尾花沢・山形を中心に活躍した職人で、能登屋旅館の鏝絵は昭和7年頃の仕事だという。



銀山温泉の中で最も古い歴史をもつという「能登屋旅館」は、銀山温泉で唯一、国の登録文化財にも指定されていて、創業は明治25年、117年前に遡るという。 
能登屋の祖・木戸佐左エ門は銀山採掘の功労者でもあり、銀山衰退後は湯治客相手の湯宿を始めたのが始まりという。 

木造茅葺きの湯宿から生まれ変わったのが大正10年、以来、その風格ある佇まいは、現在まで守られている。
特に、景観を印象づけているのが屋上階の望楼であろう。 
建物は木造三階建て、金属板葺きの屋根とを和風を基調としながらも、玄関上部のバルコニーや玄関柱の飾り、半円形の欄間などに洋風建築も取り入れられている。

次回、更に「銀山温泉





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東北紀行(79)銀山温泉 「古山閣の鏝絵」

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 東北紀行(79)銀山温泉 「古山閣の鏝絵」  ,




古山閣の正面に飾られてある「鏝絵」(こてえ)




銀山温泉の旅館は古風な三階建てが目立つが、特に、建物正面に千鳥破風、唐破風の屋根をつけていて、それぞれに意匠を尽くしていることだろう。
そして、更に各旅館の戸袋などに作られた鏝絵の装飾が施してあることだろう。

創業当時よりのそのままの姿で残っていて、あるものは、旅館の屋号であったり、縁起物のデザインであったりで、中でも目を楽しませてくれるのが、橋の向こうに窓から煌々と明かりを照らし、聳えるように建っているのは「古山閣」の建物である。

古風な造りの唐模様の主玄関と脇玄関が先ず目を引くが、何といっても眺め縁を施した二階の上部に古風な絵が横にズラッと並んでいる。 正面を飾る1年の行事を表しているとされる「鏝絵」が飾ってある。

建物の持つ圧倒的な存在感もさることながら、この壁面に掲げられている風物を描いたとされる見事な絵が実に素晴らしい。 
鏝絵(こてえ)というらしく、漆喰(しつくい)を塗った上に鏝で風景や肖像などを描き出した絵のことで、作者として有名なのは伊豆松崎の「入江長八」であろう。


因みに、入江長八は一介の左官建築職人から絵心を加えた名人、名工となって名を残し、松崎の町並みを一新したという。 
江戸末期、松崎に生まれ、12才で左官建築の弟子となり19才で江戸を出て左官の修行をつむが、同時に3年間、狩野派の絵も学び、江戸から明治にかけて活躍し左官の名工と言われた人物である。 
左官とは、壁を塗る職人、壁塗りのことでその材料は「漆喰」(日本独特の塗壁材料で、石膏・石灰・セメントなどをそのまま、または砂などをまぜて作ったモルタルをもいう)といわれるものである。

小生の「日本周遊紀行:http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/」 リンク 「伊豆松崎:http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/nn-2.htm」(入江長八のこと)



銀山温泉の中でも、たくさんの鏝絵を街頭正面に目にすることができる古山閣の鏝絵は華やかさ、数ともに群を抜いているだろう。 
温泉街には古山閣の他に、旅館永澤平八、能登屋などに鏝絵があるようだ。



旅館・「永沢平八」 




旅館・古勢起屋  




昼間の旅館・古勢起屋




町の中心に至ると通りは一段と華やかさが漂う。
川面の通りに面した各宿の部屋からは明かりが灯っていて、宿全体の姿を映し出しているのみならず、周辺地域を明るく照らしているのである。 

更に、木製で造作された三階、四階建ての巨大な家屋からは、各部屋が全面的に川側に面するように造られており、部屋の窓を開け、縁から見渡すと優雅な温泉街が一目で見渡せるようになっている。 
従って、旅館に泊まった場合は川側に面する部屋に泊まるのが理想であり、見渡すことが出来ない格差のある山側とはおのずから値段のほうも違ってくるのである。

強いて言えば、こちら川岸では旅館・永澤平八、能登屋、そしてあちら岸では小関館、古勢起屋別館(旧源泉館)それに古山閣などは銀山温泉を代表する木造建築で、その圧倒的豪華さは目を見張るものがある。

次回、「能登屋




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東北紀行(78)銀山温泉 「夜の温泉街」

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 東北紀行(78)銀山温泉 「夜の温泉街」  ,


さて、この後、食後のリラックスと酔い覚ましを兼ねて、夜の温泉街へと繰り出す・・?、そんな大袈裟ではないが、フロントにて防寒コートを借りて見物に出かける。

旅館街の通りは石畳の歩道で、下駄履きで情緒よろしくカランコロンとそぞろ歩きで気分もあがる。 
今の時分は日帰りのお客も既にお帰りのようだし、宿泊客も夕食時で人通りも少ない。


松本旅館は温泉街のほぼ中心に位置しているようで、そのすぐ横には白く立ち上がる湯けむりが出ていて足湯・「和楽足湯(わらしゆ)」というらしい。
そして近くには「おしん」のポスターが掲げてある。





温泉街入口にある「おしん」のポスター写真



NHK朝の連続ドラマ「おしん」は昭和58年4月から翌59年3月までの1年間放送され、 何と平均視聴率52%(関東地区)、最高視聴率62を記録したお化け番組といわれた。 
山形の寒村に生まれた「おしん」は幼くして奉公に出され、厳しい仕事に耐え、婚家でのいじめに耐え、幾多の困難にあいながらも持ち前の根性と機転で明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜き、スーパーの経営者として成功するという内容であった。

銀山温泉は母親が芸者として出稼ぎに出た場所として登場するが、おしんが銀山温泉で働いている母親を訪ねた時、母親から買ってもらったのが「銀山こけし」であった。
銀山こけしは元より当地の名産品であったが、製作者はこの機会を記念に「おしんこけし」を作っているという。
尚、当地での撮影には、木造三階建てのレトロな旅館「小関館」や「能登屋」が使われたらしい。





夜の銀山温泉街  



温泉街2



和楽足湯」という足湯は今は誰も居ないが、腰を下ろして川の流れや景色を眺めながらゆっくりと会話を楽しめるようにと、ベンチの高さや位置に工夫が凝らされているようである。 
銀山温泉の源泉がそのままザブザブ流れ込んでいて、触るとやや熱目で冷えて疲れた脚には丁度良さそうである。
白銀橋を渡って向こう岸へ行くと、こちらは細い路地風になっていて実際に他の屋敷の軒下を通るようになる。


夜の帳(とばり)が静かに降りてくると川端のガス燈(・・?)が灯り、それが川面に映ってユラユラと揺れている。 
そして、併せるように川に面した宿という宿から白や黄色や明かりが申し合わせたように照り映える。 
これが町の通りを一段と明るく照らし、華やかにしてくれている。

人々は浴衣姿で下駄の音をカラコロと鳴らし、川のせせらぎ音が一層、旅心を引き立てる。 

何とも贅沢な時を過ごしているようだ・・!。

次回、「温泉街の鏝絵




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東北紀行(77)銀山温泉 「松本旅館」

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松本3,2,1



松本3,2,1



松本3,2,1 




白銀橋を渡ったすぐ右手に足湯があり、数人が湯に浸かって楽しんでいる。 
松本旅館は足湯のすぐ先にあった。

旅館はこの地区では珍しい鉄筋コンクリートの建物で、上階へはエレベーターが運んでくれる。 
決して広い部屋ではないが、小奇麗に整っている和室は清清しい感じであ、手ベランダの越しには銀山川を挟んだ銀山温泉特有の旅館街が見渡せる。 

なかなかの眺めであり、現在でも大正から昭和期にかけての造作されたという、三~四階建ての木造旅館が並列に形成されていて往時の郷愁をさそう。



例によって到着後、一服のお茶を口にして早速、名物の温泉へ向かう。
玄関から奥へまっすぐ進んだところに男女別の内湯がある。 
浴室に入ると美しい木造浴室が出迎えてくれて床板,浴槽の縁,そして浴槽とどれも小奇麗にしてあり,そこに静かにお湯が注がれてサラサラとかけ流されている。

お湯は源泉をそのまま掛け流されていてかなり熱めであろうか、現在は貸し切状態なので長湯するつもりで少々水で温度を下げる。 
泉質はマイルドなやや硫黄臭をしているが、無色透明でサラリとしていて気持ちがいい。
露天風呂こそなかったが、貸切浴室の雰囲気で充分カバーできるであろう。




部屋での食事風景



さて、待望の食事である。 
和室の部屋出しで、落ち着いてゆっくりと食べられるのは有難い。 
メニューは川・山の物がふんだんにあり、味も良く、量的にも我々の年代には丁度いい按配である。 
ビールと熱燗二本でほろ酔い気分、女将さんも愛想良く結構々々である。

宿泊のランクによっては地元名産・尾花沢牛の陶板焼きなど追加されるらしい。
吾等年配者はこの程度で充分満足なのである。


銀山温泉:旅館・松本 
電話番号:0237-28-2021
所在地:〒999-4333 山形県尾花沢市銀山温泉


次回、「夜の温泉街





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東北紀行(76)銀山温泉 「銀山温泉」

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これから、その銀山温泉へ向かう。
国道347号線、通称、母袋街道といって10km程度行くと鍋越峠というのがあり、ここを超えるとそこはもう宮城県である。 
奥羽山脈を超える鍋越峠は古代から開けた道で、出羽の国から陸奥国へ通じる官道でもあったらしい。 
無論、出羽の国の延沢銀山で採取された銀塊を峠を越えて陸奥の国へ運ぶための主要道路であった。


この街道から標識に従って右方向の銀山方面へと車を進める。
周辺はこの一年の収穫、稲刈りも終わって、農家の人たちはノンビリ、ゆったり過ごすのであろうか・・?、辺りの風景もそれらしく見受けられるので不思議だ。

人っ気の無い、庄内地方の長閑な田園の風光が暫く続き、そして山間(やまあい)に入ってきてからも何も変わらず、銀山温泉という著名な温泉地らしい雰囲気は全く無い。 

車のCDが鳴らす落語が、つい最近録音作成した馬生(金原亭馬生)の「目黒のさんま」を語っていて、間もなく終盤の下げ落ちにかかる“秋刀魚は目黒に限る・・・、”というところであった。
今頃は、秋刀魚が”旬”で、油が乗ってて一番美味しい時節でもある。

耳は落語のほうだが、目はやや不安な面持ちで前方を見据える。
進むうち銀山スキー場や銀山ダムの標識が現れた直後に大きな看板が立っていて左折するように指示されている。 
左折しながら下ってゆくと、先ず、銀山駐車場や和風調の立派な「銀山荘」が左に現われてきた。 
そして、果たして先方下部に川を挟んだ趣のある温泉街が見渡せた。
道は更に下っていって銀山川の橋のたもとへ達し、橋の欄干には「白銀橋」と記されてあった。 
これより先は一般車は通行止めのようである。


橋の手前には少々の空地があって、そこがたまたま本日宿泊する「松本旅館」の駐車場で、とりあえずそこの車を寄せた。
宿は橋を渡った数件目で、早速、挨拶と受付を行う。 荷物は有難いことに宿の主人が一輪車で運んでくれる。 
尤も、車の進入ができないため当然の処置かもしれない。





これより「進入禁止」のお札 



温泉街ー1 



温泉街-2



気が付けば、初めて銀山温泉に車で来たと思える観光客がこの先、車両通行止めになっている事を知らず、ここまで来てからUターンしている車の多い。

人気のある銀山温泉は見物客や日帰り入浴客が多いようで、ひどい時は列をなして車が来ていて、橋の袂はUターン場と化して渋滞までしているようである。 
見かねた近所の店の店員が時折外に出ては、親切に交通整理や無料駐車場の場所の説明を行っている。
それにしても、観光地化している銀山温泉は駐車場の案内がどうも不適切のようだ。


因みに、各旅館には専用駐車場があるようだが、途中にあった銀山荘を除き、駐車場から旅館までは離れているようです。 
そのてん旅館松本は便利よく至近に車止めがあって有難い。

尚、日帰りの観光客は上の無料駐車場へ止めることになる。 
又、尾花沢市の銀山温泉と大石田町のJR大石田駅を結ぶ、同市のレトロ調ボンネットバスの路線バスが銀山線として1日数往復運行されているらしい。 

次回、銀山温泉 「松本旅館



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東北紀行(75)尾花沢 「花笠音頭」



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花笠音頭』 山形県民謡

目出度目出度の 若松様よ
枝も チョイチョイ
栄えて葉も茂る
ハァ ヤッショマカショ

花の山形 紅葉の天童 
雪をながむる 尾花沢 
アーヤッショウマカショ

揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた
秋の チョイチョイ
出穂よりまだ揃ろた
ハァ ヤッショマカショ

おらが在所ヘ 来てみてしゃんせ
米の チョイチョイ
なる木がおじぎする
ハァ ヤッショマカショ


ご存知、「花笠音頭」で歌われている尾花沢は、この歌の発祥地らしい。

市街地の東の地に人工湖でもある美しい「徳良湖」というのがある。 
大正時代にこの池を造作するための大規模な土木工事(灌漑用用水池工事)が行われ、その際に唄われた土搗き唄が「花笠音頭」の発祥とされている。 
そして、音頭に合わせて踊る「花笠踊り」は、工夫たちが「日よけ、雨よけ」のために被っていた笠を利用し、当時の作業の様子を取り入れたものといわれる。



この徳良湖の先、尾花沢市街地の東南凡そ5kmのところに「延沢」という丘陵地があり、延沢城という城跡がある。 
標高300mほどの丘陵の上に連郭式の山城があり、戦国期の天文年間に築かれたとされ代々「延沢氏」の居城となっていたという。 
因みに、この城跡は国の指定史跡でもあるらしい。

今にいたる尾花沢市の発展は、戦国時代に延沢氏という士族がこの地方を領し、併せて「延沢銀山」という銀鉱を開拓、産出し支配したことに始まるといわれる。 


延沢城から銀山までは真東の山中で、距離にして僅か5kmのところに位置している。
延沢銀山は、現在は「銀山温泉」という有名な温泉地となっているが、銀鉱山も往時を偲ばせる史跡が残されているという。 

そして、ご存知、銀山温泉は大正ロマンを引き立たせる木造の高層建物群が並ぶ優雅な地域で、温泉と併せて全国的にも有名になっている。 

無論、NHK朝の大河小説「おしん」でこの地が登場したことにもよるが。

次回、 「銀山温泉」


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東北紀行(74)新庄 「山形民謡の古里」

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 東北紀行(74)新庄 「山形民謡の古里」  ,



そして、真室川の直ぐ南が新庄である。 

先ずは、民謡をどうぞ・・!


新庄節」  山形民謡

ハアー(ハッ キッタサ)
あの山高くて 新庄が見えぬ(ハッ キッタサ)
新庄恋しいや 山憎や(ハッ キッタサ)  
※お囃子は以下同じ

ハアー
猿羽根山(さばねやま)越え 舟形越えて
逢いに来たぞや 万場町へ

ハアー
どうせ住むなら 最上の新庄
人に実もある 花もある

東雲の東雲の夜明けの頃に 雀がチュンチュン カラスがカアカア
お空に鳶(とんび)が ヒョウロヒョロ
して又お寺の 金木魚(かねもくぎょ) スコポーン スコポン コポンコと
鳴らぬうちゃ 帰さりょうか


いやー、実に愉快な民謡である。
あの山高うて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や
これも酒席での騒ぎながら歌う唄で、甚句(七・七・七・五の4句から成る踊り)の一種、野暮で小粋で、そして哀切な味わいがいい。


新庄は歌のように、南に神室連峰の陣ヶ峰、大森山、杢蔵山、八森山の美しい山々が見渡せ、この他にも遠く鳥海山、月山、葉山を眺めることが出来る。


新庄は「戸沢氏」が江戸期より明治維新まで治めた城下町である。
角館の武家屋敷の項でも記したとおり、元より戸沢氏は戦国期まで角館の城主であったが、芦名家そして佐竹北家が入城する直前に新庄(一時、常陸国松岡;現在の茨城県高萩市へ移封されている)へ移ってきたのであった。
この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。


江戸時代を通じて戸沢氏は領国経営に熱心であり、多くの飢饉を乗り越えて石高4万石を実石6万石にまで増やすことに成功する。
新庄祭」で歌われる民謡・新庄囃子には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句もあり、祭は「東北三大山車祭」の一つで毎年40万人を越える人出があることで有名だそうである。
江戸中期の大凶作に喘いだ新庄藩が領民に活気と希望を持たせると共に豊作祈願をするため氏神の天満宮で大祭典を行ったことに始まるという。


戸沢氏は桓武平氏の流れをくむ名家で、出羽国角館に移動して以来、一族が集結して新体制を敷き、戦国大名としてのスタートを切った。
江戸時代には新庄藩主として明治維新にまで到っている。

羽州街道の宿場町でもあり、磐根街道(現、国道47号)」が開削される明治時代初頭までは庄内町清川まで道路がなかったため、市西部の本合海集落は最上川水運の主要積出港であった。 
この頃、最上川舟歌の元歌が唄われていたのかもしれない。 
現在の舟歌は昭和期になってからのアレンジらしいが・・?。


現在の新庄市は、最上地方の一極集中型であるという。 
位置的に南北の交通と東西の交通が交わる要衝で道路網では国道13号と国道47号が交差し、鉄道では奥羽本線が南北に縦断し陸羽西線と陸羽東線が東西に横断する。
また山形新幹線の終点でもある。

地理的な特性から最上郡全体からの交通路も新庄市内に集中する構造になっており、は新庄市は最上郡の消費活動全体を支えていると言える。


山形県には他にも良い民謡がたくさん有るが、たとえば、市内を流れる「最上川舟唄」、「庄内おばこ」、「酒田甚句」、そして「花笠音頭」である。
その花笠音頭の古里、尾花沢、そして銀山温泉へ向かう。

次回、「尾花沢


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東北紀行(73)真室川 「真室川音頭」




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 東北紀行(73)真室川 「真室川音頭」   、



金山の西隣に真室川があり、その向こうに大沢地区がある。
山形県は民謡が盛んなところだが、その中心がこの辺りであるともいわれる。

先ず、真室川の民謡で、男心をクスグル「真室川音頭」を紹介しよう。

真室川音頭」 山形県民謡
私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る

蕾のうちから 通っては見たが コーオリャ
ひらかぬ 花とて気がもめる
早く時節が 来たならば コーオリャ
一枝ぐらいは折ってみたい

夢を見た夢を見た 夢を見た コーオリャ
あなたと添うとこ 夢を見た
三三九度の盃を コーオリャ
いただくところで目がさめた

真室川よいとこ 新庄を受けて コーオリャ
娘また美人で 唄どころ
のぼりくだりに ちょいと足とめて コーオリャ
聞いてまたお帰りこの音頭

裏からまわれば 垣根コあるし コーオリャ
表からまわれば 犬吠える
なくな騒ぐな泥棒じゃないよ コーオリャ
この家娘さんにちょいと用がある


元唄は明治時代、千島列島・樺太の出稼ぎ労働者が歌った作業唄「ナット節」であったとされる。
大正時代になり、町に鉱山が開発され(現在は廃坑)、大日本帝国陸軍・真室川飛行場の建設工事が始まると、全国から集まった出稼ぎ労働者達の間で、「ナット節」の歌詞を卑猥に改変した「真室川花電車」が歌われるようになった。

ナット節」(北海道・道南民謡)
裏の畑に 蕎 播いて
そのまた隣に 粟 播いて
そのまた隣に 黍 播いて
ソバ通ってアワなきゃ キビわるい

 
次に、「あがらしゃれ」という大沢地区の愉快な民謡


あがらしゃれ」 山形民謡
たんと飲んでくりょ なにゃないたても
わしの気持ちが 酒肴

大沢三千石 居たくねじゃねども
朝飯や昼飯 昼飯や夜飯 夜飯夜中で たんとこまる

あがらしゃれ姉なや お前アそげたやヨ
お前アあがらねでァ 気がすまぬ

酒を嫌だか お酌とり嫌だかヨ
お酌いやなら 代りましょう
  
飲まば飲めちゃや 二斗入り臼でヨ
それで足らねば 大桶で飲め
(間奏略)


小生みたいな、のん兵衛にとっては実にたまらん民謡である。 
この民謡、 別名「大沢節」といい秋田及び酒田へ抜ける街道の宿場でよく唄われたという。 
ここでは宿の主人が来客に酒をすすめる時に、この唄を歌いながら勧める。 飲まない時は両側から押さえつけ、耳を引っ張り、口に酒を注ぐ。 酒を飲み、正気を失えば、神々の住む世界に近づけると考えていたからである。
古風な信仰を伴った酒盛り唄はここだけに残り、土地では手拍子を取りながら唄っているという。

次回、新庄



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東北紀行(72)金山 「金山の宿場」



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東北紀行(72)金山 「金山の宿場」 ,





金山の旧家
大正初期に建てられた金山型住宅の原型とされる「カネカ邸」、店内では和洋装品を営んでいる。 又、弥生の時期になると最上地方独特の「雛祭り展示会」が開かれ、旧家・カネカ邸の客間には江戸中期の雛人形の各種段飾りや五人囃子(京雛)などが展示されるという。




泥湯温泉から一旦雄勝町(湯沢市)に戻り、国道13号線、通称、羽州街道を南下する。
奥羽本線と並行しながら雄勝トンネルを抜けると山形県に入り、最初の町が金山町である。 
自然豊かで風光な町であるが、特に金山地区は古い建物が多く目立つ町並みである。


一般に、街道沿いの国境の峠の麓には概ね宿場が置かれていた。 
この地域も江戸時代には羽前(山形)と羽後(秋田)の国境で、羽州街道に沿って金山宿が置かれ宿場町として栄えたという。

金山宿から先は、秋田県まで金山峠(森合峠)~主寝坂峠~雄勝峠と厳しい峠が続くため、参勤交代をする秋田や津軽の諸大名が必ず泊まる宿場で、そのための本陣や脇本陣が置かれていたらしい。


因みに、「本陣」(ほんじん)というのは元々は戦場において大将の位置を示す本営のことを言ったが、やがて武将の宿泊する場所を指すようになった。
宿場大名や旗本、幕府役人、更には勅使(天皇の詔勅を伝達するために派遣される特使)、宮様、門跡(もんぜき:皇子・貴族などの住する特定の寺の称やその寺の住職のこと)などが使用した宿舎がそうである。

本陣に勤める者は宿役人の問屋や村役人の名主を兼ねている者が多く、そこの主人は苗字帯刀を許され、門や玄関、上段の間等を設けることが特権のようになっていた。 従って、原則として一般の者を泊めることができなかった。
しかし、大名もそう度々泊まるわけではなく、江戸時代も後期になると経営難に陥る所も少なくなく、他の仕事を兼業している場合もあったという。

又、脇本陣(わきほんじん)というのは本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけで泊まりきれない場合や宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低い方の藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。 
それ以外の時は一般旅客の宿泊にも供した。 
規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。



金山町は、明治期の村制施行、大正末期の町制施行以来、町域の変更がなく、更に、昭和の大合併・平成の大合併と幾度もあった合併の流れにも加わらず、しかも、そのことを町の誇りとするなど独自色の強い町でもある。

次回、「真室川



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東北紀行(71)泥湯 「泥湯温泉の概要」

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泥湯温泉風景と奥山旅館の大露天風呂



泥湯温泉は、山峡に数軒の旅館が寄り集まった小さな温泉街である。 
温泉街といっても付近には遊び場も無く、静かに温泉だけを楽しむのに向いている。

奥山旅館は温泉街の中でも多分一番大きな規模の旅館であろう。 
男女別内湯、混浴内湯、別棟の男女別露天風呂、混浴露天風呂と多彩である。 


泥湯温泉は湯治向きの温泉らしく昔は湯治場、自炊の出来る湯治の宿も有ったらしいが、近年、専門の湯治客の減少により取り止めていたらしい。 
尚、冬場は大雪のための通行止めに伴って営業そのもが休業になって所謂、陸の孤島であったらしい。

しかし、平成の温泉ブームにのって泥湯温泉も見直され、平成のはじめ以降、道路の除雪を行って冬期通行も可能になっという 。
だが、冬期営業を始めたのは奥山旅館のみで、特に年末から年始にかけては「冬季限定湯治コース」というのがあり、3泊4日・6食付で10500円という格安サービスを行っているという。


泥湯温泉は、人が湯浴みを始めた頃、つまり湯治場としての歴史は室町時代中期よりとされ、560年ほどの経歴をもつといわれる。 
当初は安楽の泉という名称で、湯治客でにぎわっていたそうである。

その昔、湯に浸かるのを恥ずかしがる娘の為に天狗が湯を濁らせたという有名な「天狗伝説」も残っているという。

泥湯」とは実際に泥に浴いるわけではないが、一昔前には名前の由来の通り、そのまま温泉が泥水のような色の濁り湯なため、又は湯と一緒に湯泥が沸いてくるためと言われている。
湯の底に相当の泥だまりがあったらしく、実際は温泉の硫黄分の粒子が細かいため濁っているようにごぼごぼと泥が噴出していたらしい。
そんな秘湯ムードたっぷりな村なのである。


温泉地周辺に複数の自墳源泉が存在し、源泉によって泉質が単純硫黄泉、単純温泉、硫化塩泉等バラエティに富んでいる。
源泉温度は60~80℃、phは1.8~5.6の酸性となっている。


効能は高血圧症、動脈硬化症、末梢循環障害、リウマチ性疾患、慢性中毒症、糖尿病などに利くといい、単純硫黄泉は飲用にも効果があって糖尿病、慢性中毒症、リウマチ性疾患、通風などに利くといわれる。

次は、山形県・「銀山温泉」へ



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東北紀行(70)泥湯 「泥の湯と湯宿」の写真集

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東北紀行(70)泥湯 「泥の湯と湯宿」の写真集   、
本文は前項に記載






奥山旅館が営んでいると思われる屋外の「大露天風呂」(男湯)と仕切り壁には泥でなぞった手形がベタベタと張ってある(現在はドロベタはできない・・!)



こちらは反対側にある女湯の大露天風呂



奥山旅館の大露天風呂の向い側にある湯小屋(向うは母屋)



奥山旅館の屋内の内風呂と露天風呂(下2枚)







大露天風呂の右手にある目洗の湯と目洗い童地蔵」



目洗の湯と同様の広場にある「足湯」

次回、本文は前項に記載してます



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東北紀行(70)泥湯 「泥の湯と湯宿」

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 東北紀行(70)泥湯 「泥の湯と湯宿」  ,
(写真集は次項に記載してます)



さて、本命の泥湯温泉へ戻って、泥の湯を楽しむことにする。
地獄」からの帰りしな温泉街を上から覗くと黒屋根、赤屋根の建物が10数、軒を並べているが、実際は3軒の旅館があるのみのようである。 棟数が多いのは温泉棟や別館、別棟なのであろう。

温泉宿は木造の宿・奥山旅館、小椋旅館、民宿・中山荘などがあるらしいが、何れも日帰り、立寄りの湯を行っているらしい。 
その内の一軒、この温泉郷の最も奥まったところにあり、規模も一番大きそうで湯槽の多そうな奥山旅館を訪ねることにした。


奥山旅館が営んでいると思われるY字路の先端にある小料理兼雑貨屋のような店先で入浴料金を支払う。 
聞くところ、湯の場所は道路を挟んだ両側に在るらしく、大露天風呂と小ぶりで木製の露天風呂を持つ二つの温泉棟があるらしい。

先ずは、雑貨屋から見て道路左側、山あいに建つ名物の大露天風呂へ向かった。
文字通りかなり大きな浴槽で、一見、乳頭・「鶴の湯」の大露天風呂を彷彿させる。 
湯泉の色合いも乳白色で似たところがある。 
しかし、やはりこちらは名前の泥湯と謳っているだけあって、粘っこくトロミが感じられる。

実は最近までは底の灰色の泥が溜まっていたそうで、正真正銘の泥の湯だったらしい。
それが証拠に、仕切り壁には泥でなぞった手形がベタベタと張ってあるのだ。 
今は残念と言おうか、底にはサッパリした砂利敷きが施してあるのみである。

手形のある仕切りの壁の向こうは当然女性用の湯船であるが、一昔前までは仕切りの無い、男女混浴の巨大な露天風呂だったらしい。 
入浴客、特にスケベな男性諸氏のマナーの低下が原因らしく、今は男女別となってしまったという。

この乳灰色の大露天風呂のお湯は「天狗の湯」と呼ばれているらしい。
昔、病気の乙女が透明なお湯に入るのを恥ずかしがっているのを見て、天狗が乳白色のお湯に変えてくれたという伝説が残っているという。



さて、余りのんびりはしておれず、次に向かいの別棟、温泉棟へ向かうことにする。
前もそうであったが、玄関を潜っても湯屋番などは誰もいなく、「勝手にお入りください
と云わんばかりである。

早速、湯舟に向かうと脱衣所よりも一段と低くなっており、周りを岩に囲まれて洞窟岩風呂といった趣である。
浴室は結構広く、特に泉質は先ほどの泥湯・・?と違って透明感のある白色でさっぱりした湯加減である。
すぐに離れの露天風呂に向かった。 

内湯を抜けて露天風呂に出ると、木でできた二つの湯舟がある。 
正面の駐車場側には葦簀の目隠しが、反対側は山の斜面となっているため、景色はあまり良くないが、屋根付で雨の日などは好都合かも。

同じ大きさの湯舟が二つあって、一つにつき10人程度は入れそうだが、折角だから二つをまとめて一つの大きな湯舟にした方がいいのではないかとも思った。 
それとも泉質が違うのかな・・?、こちらの湯も乳白色の半透明で底まで見える程度である。

と、突然上の方女性の声がした。 
内の上さんも入っているはずであるが、そうではなさそうで他の女性グループらしい。 
浴槽は一段の高めにあるが、こちら側とは行き来できるのでやはり混浴風になっているらしい。

普通、混浴の浴槽は一つの大きな湯船に、男女が和気藹々のうちに浸かっている状態を思いうかぶが、だが、こちの混浴というのは7~8人くらいの小さな浴槽が三箇所(四箇所・・?)有って、男女どちらの浴槽にも入ることができ、一種、家族風呂のようにも思える洒落た造りと言えなくもない・・?。



奥山旅館のすぐ近く、空き地のような駐車場に車を止めてあるが、すぐ前はやや小規模な地獄が広がっていて、こちらもアチコチから白い噴煙を上げていた。
手前に小さな小屋に子供が二人でじゃれている姿の石像があり、そこには「目洗いの湯」という表示があって小さな湯槽があった。 

小生、連日のパソコン操作、ネット検索で“お目が少々お疲れ”なので、一礼をして早速行ってみた。 
酸性湯なのでやや沁みる感じであるが、何やらご利益が有りそうな気がしないでもない。
隣には木の縁で造られた「足湯」があり、今は青天井で何も無いが、雪のシーズンには東屋らしい屋根と風除け(雪除け)の簾が付くらしい・・?。

次回、本文関連の写真集は次項に記載します



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東北紀行(69)泥湯 「川原毛地獄」の写真集

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東北紀行(69)泥湯 「川原毛地獄」 
の写真集
本文は前項に記載してます






川原毛地獄入口に立つ「案内板」







硫黄煙が噴出す荒涼とした川原毛地獄



川原毛地蔵菩薩









川原毛地獄の湯の滝と滝壺野天風呂

次回、「泥の湯と湯宿」




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東北紀行(69)泥湯 「川原毛地獄」

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 東北紀行(69)泥湯 「川原毛地獄」  ,
「川原毛地獄」の写真集は次項に記載してます ,



泥湯温泉からさらに車で5分ほど進むと、奇景・川原毛地獄がある

かつて硫黄鉱山があった跡で、今でも所々から硫黄ガスが噴き出し、そのガスのせいで草木が育たない荒涼としたガレ場が広がっている。 まるで異次元空間のようだ。

この川原毛地獄の下部にある川原毛大湯滝も近年知られるようになってきた。
川原毛地獄から湧出した温泉が川となって流れ、それがその先で滝になっている。
その滝壺に落ちる湯が夏期にはちょうどいい湯加減となって、滝壺に裸で入れば、これぞまさに天然の打たせ湯と露天風呂。地獄ならぬ極楽の気分満点だ。


地獄の入り口に一人の「おばさん」がのんびりとアイスクリームを売っていて聞くところ、大湯滝へはゆっくり行って徒歩約30分で駐車場(地蔵森)、更に約20分くらい下ると湯滝温泉があるとのこと。
是非、行ってみたいところだが、入浴時間を入れても往復2時間程度かかるようだし、この後、泥湯温泉へ浸かる予定もあるので、時間の関係もあって今回は致し方なく取り止めた。 


尚、川原毛地獄の大湯滝へ行くにはもう一つのルートがあって、先ほど通った県道51号線の三途川という地から川沿いに向かって5~6km進むと駐車場あり、ここから20分で滝の温泉があるらしい。


湯滝は大小二本あり、その下に滝坪のような湯船が所々にあって湯の温度は通常だと適温らしい。 
ただ、乾季や大雨のときなどはそれに応じて温度は上下するという。

滝つぼにて湯浴みをするとき、身体に傷があったり滝の飛沫が目に入ると酸性湯の為痛い。
湯は天然の露天風呂そのもので、やや白濁気味の湯でヌルッとした浴感らしく、分析はかなり強力な酸性を示す源泉である。
やはり火山噴出性の温泉であることが判るがという。

駐車場付近にもいくつかの湯浴み可能な露天風呂があるようで、川のいたる所から熱湯状態の源泉がいくつも噴出しているという。
いずれにしても日本では、北海道知床の「カムイワッカの湯滝」と1,2を争うほどの天然野天の川原湯で、温泉好きにはたまらないであろう。



思えば小生、「日本一周旅行」や「北海道旅行」の際、二度ほど「カムイワッカの湯滝」を尋ね、湯浴びをしたことがあった。
北海道知床のウトロから名勝・「知床五湖」へ、更に、ダートコースの車を揺らせながら10kmほど行くと、やっとカムイワッカ川の入り口に達する。 

湯浴みのできるカムイワッカの湯滝の壷はこれより更に、徒歩で川の中の沢を約30分ほどかけて遡行(沢伝いに上ってゆくこと)しながら登ることになる。 
途中、所々に小さな滝壺があるが、お目当ては「四の滝」、「五の滝」と呼ばれる本命滝壷であり、これらは湯温も適温で、10数人ほど入れる天然の湯船となっているのである。
こちらも知床連山の火山性の山・硫黄山を源とする硫黄臭のする酸性泉で、川原毛地獄の大湯滝同様、身体に傷がったり、目に入ったりするとかなり沁みるのである。

しかし残念なことに、知床が世界遺産に登録されたことにより観光客が激増したため、沢歩きには転落や落石の危険が増しているという。 
その理由によって地元を管理する環境省・林野庁は、2005年には適温の滝壷のうち「四の滝」以外は立ち入り禁止となり、さらに2006年には林道から100メートルほどで登ったところにある、「一の滝」の滝壷より上流への立入が禁止されてしまつたという。


ご存知、知床一帯は近年、世界遺産に登録されている。 
尚、詳しくは小生のホームページをどうぞ。

リンク:「日本世界遺産紀行」; http://orimasa2005.web.fc2.com/
リンク:「知床紀行」; http://orimasa2005.web.fc2.com/siretoko1.htm










カムイワッカ湯滝の「四の滝」野天風呂 (平成16年9月28日;小生です)
女性の艶かしい姿も・・!

次回、「川原毛地獄」の写真集



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東北紀行(68)泥湯 「泥湯温泉郷」

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 東北紀行(68)泥湯 「泥湯温泉郷」  ,




川原湯地獄へ向かう途中から見た「泥湯温泉郷」の集落



そこを通り過ぎるとすぐに、荒々しい風景の中、狭い流れの高松川沿いに建物群が見えてきた。
湯治場の雰囲気を残す小さな木造旅館が3軒と湯小屋が通りの左右に並んで、まるで江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気である。

決して交通の便がいいとは言えないが、今、この泥湯温泉が都会の温泉ファンには大人気なのだ。
まさしく、都会人が憧れる「秘湯」のイメージが、ぴったり当てはまるからなのだろう。かつては近郷近在の湯治客で賑わっていた泥湯温泉だったが、こんにちでは利用者は逆転してむしろ県外からのお客のほうが多いのだと言う。


小さな集落を成す静かな山間の温泉は鄙びた風情、情緒がたっぷりである。 
この先には自然で造り上げた足湯や小さな祠の薬師神社があり、付近にはたくさんのマッドポット(噴出す泥の壺のようなもの)が顔を覗かせ、ゴボゴボと地球の息吹が感じられる。 
確かにここは火山系の温泉で、特異な湯が堪能できそうである。
周囲は深い山々に囲まれていて、それでなくても当地は秘湯中の秘湯であろう。


そう当地は、有名な栗駒山の西の山麓に当たり、 栗駒国定公園の範疇にある。
超長い奥羽山脈の中部に位置し、秋田・岩手・宮城県、更には山形県の県境にも近い。
栗駒山自体が火山性の活火山に指定されている山で、昭和19年には水蒸気噴火を起こし、北部中腹には火口湖である昭和湖を形成している。

従って、周囲には火山性の温泉も多くあり、栗駒山を囲む岩手、宮城、秋田、山形には一軒宿から温泉郷までの名湯、秘湯が多数存在する。
無論、泥湯温泉もその一つであるが、周辺東側には小安峡温泉、西側には秋の宮温泉郷がある。 

又、岩手県側には矢びつ温泉・真湯温泉・須川高原温泉、宮城県側には「くりこま高原温泉郷」、鬼首温泉郷、ご存知、鳴子温泉郷、そして、山形県側には最上温泉郷である赤倉温泉、瀬見温泉などがある。


思えば、一昨年(2008年)の「岩手・宮城内陸地震」により大規模な地滑りが起き、宮城県側周辺の須川、駒ノ湯、温湯、湯ノ倉、湯浜等の温泉が、地震による影響で休業や廃業に追い込まれる被害を受けている。



さて、泥湯(どろゆ)温泉は山深い地域にあって、温泉宿が三軒しかない鄙びた静かな谷間の宿である。 
お楽しみの温泉であるが、入浴は後回しにして先ずは本日の主要な目的地である「川原毛地獄」へ向かう。

泥湯の温泉地より曲りくねった登り坂を車で少し走ると、山と山の間から急に灰色の溶岩ドームのようなものが立ちはだかるす。 
まことに奇怪(きっかい)な稀有な風景を形作っている。

これが恐山、立山と並び称される日本三大地獄の「川原毛地獄」である。
草木が生えない灰色の小山のような山肌が突然現れ、いたるところから蒸気が吹きだし、鼻をつく強い硫黄臭があたりに漂っている。 

起伏のある荒涼とした斜面は正に地獄を示し、一帯は不気味な光景を作りあげている。 
車道からは遊歩道が二方向に設置されているが、右上の方はガス噴出で危険なせいか現在は通行止めになっている。 
一部は熱蒸気と共に熱湯が噴き出している場所もあり非常に危険のようだ。 
誤って足を入れたりすると、生きながらにして地獄を体験することになる。

そして、左手の歩道は谷底、渓流へ降りてゆく道で、かの有名な川原毛地獄の大湯滝が在るところに通じているようだ。

次回、「川原毛地獄



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東北紀行(67)湯沢 「泥湯温泉」

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 東北紀行(67)湯沢 「泥湯温泉」   、





泥湯温泉付近の道路周辺の様子; 噴気がモウモウと立上る




この後、県南の山中にある「泥湯温泉」と川原毛地獄(秋田県湯沢市高松)を訪ねることにする。
川原毛地獄は日本の日本三大地獄の一つであり、他の青森下北の「恐山」及び富山の立山連峰の高所、室堂にある立山地獄(地獄三霊地)は既に観光しているので残りの当地を目的地をしたのである。

小生のホームページ 「日本周遊紀行」 リンク  「恐山
小生のホームページ 「立山・剱岳登山」 リンク 「立山地獄



秋田県道51号線、通称、湯沢栗駒公園線を20kmほど進み、木地山高原付近より右手の山中に分け入る。
並行している渓谷の名称が「三途の川」というのが如何にもそれらしい名で、この先には即ち「地獄」が存在するのである。


山間のくねった道を暫し進むと、前方になにやら怪しげな白煙が立ち上っている。 
車はというより道はそれに向かって進んでいるようだ。 
果たしてその正体を見た・・!、

道路のすぐ横の山肌よりモウモウと蒸気が吹き上がっている。 
否、山肌もそうであるがこの道路からも噴出しているのである。 

エッ、道路から・・?、そしたら車なんかは走れないんじゃないの・・?、
そうなのである。 

しかし、道路の路面には分厚い鉄板が何枚も敷かれてあって、手前には「有毒な硫化水素ガスが発生しているため、素早く通過してください」との注意書きの看板が立っていた。
周囲は地獄のように白茶けて、硫化水素ガスの噴煙が舞い上がっている。
短時間車を停めて柵越しに覗くと、あちこちで高温の温泉が噴き上がっているのが見える。


そういえば思い出したことがある・・!!
数年前、この泥湯温泉で一家4人がガス中毒死した事故があった。
2005年の年末、雪深き当地温泉場で東京の御一家が宿泊客として温泉保養に来ていたが、
雪の上で遊んでいる時に、誤って踏み抜いて落ちてしまう。 
この空洞の表面は雪に覆われて落とし穴の様になっていた所で、穴は、直径2m、深さ1.3mでトンネル状の空洞になっていたそうである。 
この穴に硫化水素ガスの溜まっていて急性硫化物中毒で死亡したらしい。  
痛ましい事故であり、それにしても温泉のガスもこうなると怖いもんである。



この地域には更に注意書きがあって・・!、
泥湯温泉地帯は、熱湯や硫化水素ガスが発生している場所があり、危険ですので赤色で示した立入禁止区域には絶対に入らないでください。特に積雪期は、雪の下に硫化水素ガスがたまっている雪洞が形成されている可能性がありますので、雪の上には絶対に上がらないでください。
「硫化水素ガスの特徴」
「無色透明で,その存在を目で確認することは困難です。ゆで卵の腐ったような臭いがしますが,ガスの濃度が高くなると臭いを感じません。そのガスを吸い込むと,瞬間的に意識がなくなり,そのまま放置すれば死に至る場合もありますので,ご注意ください


次回、「泥湯温泉郷



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東北紀行(66)湯沢 「小野小町」

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 東北紀行(66)湯沢 「小野小町」  ,


横手、湯沢と出羽の国・秋田有数の都市ながら、周囲は穏やかな山並みに囲まれて、如何にも内陸の都市という感じである。 
特に湯沢市は、すぐ横を県最大の雄物川の清流が流れ、きれいな水と豊かな自然の中で、街は清楚に佇んでいる。

雄物川は、江戸期まで日本海へ連なる水運が盛んだったらしく、上り舟には海産物などを、下り舟には米や農産物を主な積み荷とした。 
内陸は米所でもあり、所謂、御物(年貢米)を運んだことから「御物川」転じて「雄物川」となったという。


湯沢は、名前の名が示すとおり山間には多くの温泉があり、その名が付いたともいわれる。
小安峡温泉・秋の宮温泉郷、大湯、新湯、泥湯など、出湯の宝庫でもある。
小生は、これから山あいの秘湯、迫力の大噴湯を誇る泥湯、川原毛地獄へ向かうのである。


湯沢市街の南、須川から左、県道51から目的地へ向かうのであるが、所々に「小野小町の里」と名札が立っている。 
そう、ここ雄勝町(湯沢市雄勝町)は秋田美人の元祖・小野小町に所縁のある町らしい。
当地区には小野という地名もあり、小野塚(小野良実の墓)や小野小町の伝承、伝説の史跡が密集しているという。

小野小町は平安前期の女流歌人で、絶世の美人といわれ、全国に数々の伝説が作られている。
ご存知、「あきたこまち」や秋田新幹線の「こまち」の由来にもなっている。


小野小町は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人、六歌仙・三十六歌仙の一人である。

『 花の色は  うつりにけりな  いたづらに
          わが身世にふる  ながめせしまに
 』
(桜の花の色はすっかりあせてしまったことよ。長雨がふっていた間に。わたしの美しかった姿かたちもおとろえてしまった。むなしく世をすごし、もの思いにふけっていた間に)


その小野小町は小野良実の娘とされる。 
京都の貴族・出羽郡司小野氏は、この小野地区に館を構え、周辺は小野千軒と言われる程に大きく発展したと言われている。 
その後、在地豪族の娘・大町子との間に小町をもうけ、13歳の時に都へ連れて帰り氏族の一人として教育をした。

15歳ころ歌才をうたわれ、仁明天皇近くに更衣として仕え、正六位に叙せられ30歳ごろ後宮を退いた。40歳ほどで故郷に帰り、90歳を超えて一生を終わったという。

容姿の端麗さは宮中一と云われ、今ではエジプトのクレオパトラや中国の楊貴妃と共に世界三大美人と呼ばれている。 
その為か多くの伝承や伝説など全国各地で見られ、実在の人物ではあるが、小町の一生は謎に包まれているともいう。

次回、「泥湯温泉



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東北紀行(65)横手 「横手と後三年の役」

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 東北紀行(65)横手 「横手と後三年の役」  ,


国の名勝でもある桧木内川の桜並木を右に見ながら、角館を後にした。
これより秋田自動車道、湯沢横手道路などを経由して湯沢の南部より子安峡方面を目指す。

因みに、両高速道とも高速道路無料化の対象になっていて、有料であった高速道路の料金無料で走れ、これは民主党がマニフェストのひとつとして掲げる政策でもある。  


先ずは横手に向かった。
横手は冬場、雪のカマクラで有名であるが、雪の殆ど降らない小生の住む神奈川県厚木市とは、この雪が取り持つ縁なのかどうかは定かでないが、友好都市の関係を結んでいるのである。


ところで、「B-1グランプリ」大会というのをご存知だと思うが、2010年に厚木で開催された。(優勝は山梨県甲府市「甲府鳥もつ煮」という品目) この時、46件もの出展参加者があり、44万人の人手があったという。
 
前年(2009年)には当地・横手市で開催されいて、ご当地「横手やきそば」がグランプリを得ている。 

因みに、その前年の2008年に開かれた福岡県留米市の大会では、厚木の「厚木シロコロ・ホルモン」というのが優勝しているのである。 
友好都市同士で連続のグランプリを獲得しているが、何かしら奇縁を感じるのである。

B-1グランプリとは、「B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会」(通称:愛Bリーグ)が主催する「B級ご当地グルメ」の日本一を決める大会であり、正式名称は「B級ご当地グルメの祭典 B-1グランプリ」と称している。
地元の食材をつかい、昔から親しまれてきた一品料理を調理し、来場客が出展料理を食べ比べる。 
そして、どの料理が気に入ったかを投票によって選び、グランプリが決定するという趣向である。



横手は先に岩手・中央部の戦乱の項でも記したが、平安後期前九年、後三年の役で活躍した清原氏(出羽清原氏)の根城だったところである。

横手の中心部から北に約10km、奥羽本線には「後三年駅」というのも在り、後三年神社、後三年記念館、後三年平和公園など、そして「金沢」という地名もある。
そう、この地には「金沢柵」という巨大な城構えがあって、かって出羽・清原氏の根拠地でもあった。


金沢柵は前九年の役頃までは清原氏の居城で、後三年の役においては清原家衡、武衡が「沼の柵」から移って籠城したため源義家がこれを包囲して兵糧攻めにし、陥落した古城址である。
四周が断崖絶壁の岩山で天然の要害をなし、数多くの塹壕をつくり堅固な柵で、本丸、二の丸、北の丸、西の丸などには、当時の陣営の堀っ建ての柱穴址がたくさん残っているという。

柵跡には現在八幡神社があり、後三年の役終了後、源義家が藤原清衡に命じて出羽鎮護のため、石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したものという。 
本殿内は創建当時のもので、社務所は宝物殿を兼ねたもので幾多の社宝や貴重な文化財が保存せれている。



前九年の役」で俘囚の長・豪族安倍氏に勝利した清原氏は、武則が朝廷から鎮守府将軍に任じされ、安倍氏の旧領奥六郡(律令制下に置かれた胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の六郡の総称。
現在の岩手県奥州市から岩手県盛岡市にかけての地域に当たる)を併せ領する大族となる。 
しかしその後、清原氏は同族同士での家督相続、御家争いの内紛を起こす。 

清原真衡と吉彦秀武(きみこひでたけ)、清原家衡、清原清衡(藤原清衡)との争いで始まるが、前九年の役にも参戦した陸奥守源義家が介入し、清原真衡が死去したことで一旦は、清原清衡と清原家衡で分け合って跡を継ぐことになる。

しかし、清原清衡と清原家衡の間で再び争いが起こり、家衡は出羽国・「金沢柵の戦い」では籠城をして戦ったものの、結果、清原清衡に義家軍が応援したことで勝利し、直系の清原氏惣領家は滅亡する。


この一連の内紛を後三年の役(1083年から1087年)といい、勝利した清衡は奥州の覇権を握り、摂関家に届け出て実父・藤原経清(陸奥国亘理郡:現在の宮城県)の姓藤原を名乗ることになる。 

藤原清衡は、後に磐井郡平泉に居を移し、政治文化の中心都市の建設に着手して、1108年には中尊寺造営を開始して壮大な中世都市平泉の原型をつくり、奥州藤原氏四代100年の栄華の基礎を築くことになるのである。

次回、湯沢 「小野小町



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東北紀行(64)角館 「角館の概要」





 東北紀行(64)角館 「角館の概要」   、







角館のシダレ桜と角館の街の略図(角館観光)




城下町としての角館は中世末期、戸沢盛安によって創建されたという。
戸沢氏の家系は桓武平氏・平衡盛を祖とした名家で、戦国期には角館を中心として仙北地方に一大勢力を誇った家柄であり、盛安は戸沢氏十八代目の当主に当たる。
古城山に館を置き、当初その北側の山麓に城下町を築いたとされる。

しかし、戸沢氏が国替えとなり、後に着いた芦名義勝の代(佐竹盛重;初代秋田藩主・義宣の弟で芦名氏に婿入改名)には、その地が不利として改めて古城山の南側に新城下町を建設した。
この地は三方が桧木内川などの川と周囲は山に囲まれ、天然の要害を成していて、これが概ね現在の角館の街の姿である。


街は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」に、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分された。

内町」は、築200年近い屋敷が建ち並び黒板塀に垂れ下がるしだれ桜が続き、この武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており文化財として保護されている。

外町」は、内町と対照的にびっしりと商家などの町並みが続き、歴史を感じさせる。 
古い建物や土蔵も数多く残り、町の人はこの空間を大切にしながら商店地などに活かしていた。
この嘗ての町割りが390年あまりたった今でもほぼ変わらず残っているという。


内町の武家屋敷群は、現在の町名で主に東勝楽丁や表町下丁・上丁があり、その道路は途中、桝形になって行き止まりのように見える箇所がある。 
これは城下町でよく用いられる手法で、見通しを避け、防衛する役割をもっていたされる。 無論、現在その意味は失ってしまったが、屋敷境としての景観の演出効果を果たしている
のである。

この街の主要通りは、桜はシダレザクラで、その他は常緑樹、落葉樹の木立が大きいのが特徴であろう。
特に名物シダレザクラは、塀から通りへと流れ落ちるかのように枝を伸ばし、風に揺れながら舞い、優雅な雰囲気を醸し出している。


芦名家から代わった佐竹北家の初代当主・義隣の子・義明(よしあき)は正室として京の公家・西三条実号(さねな)の娘を迎えた。 その結果、北家二代の間には角館には京との深い交流が生まれた。 
御輿入れの際、京都円山公園の「枝垂れ桜」が内町の武家屋敷に移植されたのを始め、京から多くの文物が取り入れられた。 これらが「みちのくの小京都・角館」と言われる所以かもしれないのである。
このシダレザクラを嘆賞した、歌人・斎藤茂吉は名歌を残した。
 
『 春ごとに 枝垂り桜を 咲かしめて 
          京しのびしとふ 女(おみな)ものがたり
 』



尚、「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督が当地で「隠し剣鬼の爪」(青柳家)、「たそがれ清兵衛」(岩橋家、松本家)等を撮影場所としている。
因みに、両映画はいずれも藤沢周平作品の本格時代劇で、幕末に生きた名もない下級武士と家族の姿を日本に残る美しい風景とともに、胸を打つ感動と手に汗を握る興奮で描き、数々の映画賞に輝いている。

次回、奥州街道 「横手



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東北紀行(63)角館 「角館と佐竹家」

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 東北紀行(63)角館 「角館と佐竹家」  ,


石黒家では特別に女性の案内係がいて、石黒家や角館の歴史や謂れをガイドされていたが、ここで初めて角館は佐竹家の支藩(北家)であった事が判った。


「佐竹氏」といえば小生にとって懐かしい響きを感じるのである。 
先ず、小生の生母は山形旧家出身の「佐竹」と称していて、ヒョッとしたら出羽・秋田の佐竹氏とは何らかの因果関係があるのかもしれない。 
又、我が故郷でもある出身地の東北南部の「いわき」は、秋田本藩二代目藩主の出身の地でもあるのです。

秋田の南に位置する岩城町は(2005年、由利本荘市となる)、江戸期には「岩城藩」または「岩城亀田藩」と呼ばれていた。 
江戸初期に岩城亀田藩が設立され時、その初代藩主当たったのが岩城吉隆であった。

戦国期、福島県浜通りの「いわき地方」を治めていたのが岩城氏であったが、関ヶ原の戦いで苦渋をなめ戦後、磐城12万石は没収されてしまう。 
だが数年後、岩城吉隆は大名復帰を許されて出羽亀田藩の藩主となるのである。 
更に、岩城吉隆は子供のなかった秋田藩の祖・佐竹義宣の養子に迎えられ、秋田藩第二代の藩主となって「佐竹義隆」と名乗るのである。




話が反れたが・・、
女性の案内係に更に、“角館の町割り”は判ったが、統治者・佐竹氏(芦名氏)の主城は何処かと尋ねたところ、街の北の外れ「古城山」にあったと聞いた。
確かに、広い街路より小高い丘のような、小山のような姿が見えていた。


角館は佐竹氏支藩である佐竹北家が統治していたが、その主城は現在のその名も「古城山」にあったとされる。 
創築は前代の戸沢氏によって築城されたといわれる。

戸沢氏は後に移封され、替わって常陸より佐竹義宣が羽後国秋田・仙北へ入部し、角館城には義宣の弟・盛重(後に芦名義勝と名を改める)が1万5千石で入れ置かれ、現在の角館のもととなる北麓に城下町を造り、お城を角館城として改築を行い、軍事的機能を優先した町づくりが行われた。

しかし十数年後、江戸幕府の一国一城令によって角館城は破壊されて古城山南麓に居館のみが設けられたという。 
古城山には現在公園として整備競れているが、遺構として曲輪・土塁・堀が残っているという。
尚、当主・芦名家及びその後の佐竹北家の居館はどの場所でどのような威容を誇ったか、はたまた、現在、遺構や遺跡が残されているかは関知していない。

次回、角館の概要



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