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世界遺産 日光大紀行(105)日光の自然 「切込湖、刈込湖コース」





世界遺産 日光大紀行(105)日光の自然 「切込湖、刈込湖コース」



http://www.bes.or.jp/nikko/img/blog_data/th/th_57cda_4875_1.jpg


http://shunbuntei.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_a8b/shunbuntei/IMG_5089-c5b68.JPG?c=a1





 
湯元温泉までは3時間30分の標準時間が示された看板とルート概念図がコース入口にある。 

山王峠に通じる車道を左に入るとミズナラを主体とする樹林帯の中をルートがあるが、地面は1mに満たないミヤコササが生い茂った心地よいコースで始まる。 

緩やかな坂道を過ぎると急な勾配になるが、立派な階段が取り付けられている。 
約1時間経過した頃、樹林帯を抜け、平坦地に出ると山王峠である。 

高山植物のサワヒヨドリ、オタカラコウの花が見られる。


涸沼(カレヌマ)目指して出発、直ぐに車道に出た地点に「ルート説明看板」がある。 
木道の先は不規則な石の階段が続く下りを進む。 

約30分で山王峠から涸沼のベンチに到着。 この沼は噴火口の水が無くなって今は草原になり周囲は三岳、於呂倶羅山、山王帽子岳に囲まれている場所で、山野草、高山植物が目につく。 

目的地の「切込湖・刈込湖」を目指して草原から鬱蒼と茂る林間ルートに向かう。 
約1時間進むと切込湖が見えて来た。
湖の端は砂浜があり、約10-15m低い「刈込湖岸」に降りられる。 





次に刈込湖へ方面に向かう。 
切込湖と刈込湖は約5-10mの水路で通じているが、ルート表示看板によれば、「刈込湖」の方が大きいが安全に湖岸に降りるところは無い。 

樹林越しに湖水を見ながら前進すると、切込湖の説明看板に着く。 
此処からは鬱蒼とした樹林帯と大きい石の間を通過する登り道だが、手入れの行き届いた木製階段は諸所にある。 


登りきると平坦地となり、間もなく小峠に到着、岩から滴り落ちる水音を聞きながら「小峠」の標識のベンチに腰掛けて一休みするのもよい。
最後に湯元温泉へ向けてミヤコザサの茂る道を下る。 この周辺にいる小鳥や植物の説明看板が所々にあり有り難い。


このコースは、湯元宿泊者は丁度良いかもしれないが、光徳から-山王峠の登りはややきつく、湯元からの逆路のほうがやや楽である。

涸沼はすり鉢状の草原で、その名のとおり水の無い沼である。 6~7月に主に樹木や山草類の花が咲く。


切込湖・刈込湖の両湖は繫がっていてはいるが、水の流れ出す沢がない。 湯ノ湖などと同じく三 岳の噴火によってできた堰き止め湖である。

因みに、湯元の源泉は硫黄泉で、湯ノ平湿原から湯ノ湖にかけてが温泉源であり、湯ノ平湿原には温泉が流れ込み白濁している。





◆コースタイム ( )は逆路

光徳入口⇒光徳⇒30分(30分)⇒山王峠⇒40分(1時間)⇒1時間20分(1時間30分)⇒刈込湖⇒1時間(1時間)⇒湯元温泉
約10km(約4~5時間)






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世界遺産 日光大紀行(104)日光の自然 「奥日光・光徳牧場」






世界遺産 日光大紀行(104)日光の自然 「奥日光・光徳牧場」




http://monoda2.net/koutoku_bokujyou/1.jpg


https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRuHhgtIDJBYhf4jXzKyxUQ9ZspEUw0EJcuRrR1g82YODowxesl



 

国道120号の光徳入口バス停から東に1.5キロ入った地区が光徳で、逆川-沿いをハイキングで向かう道もある。

行楽に人気のエリアで宿泊施設、温泉、公衆トイレ、駐車場が整い、小さなリゾート地になっている。


光徳牧場は、広さ約3万平方メートルの牧場で、ウシやウマが放牧されていて、いつでも売店で新鮮な牛乳やアイスクリームを味わえる。
特に新緑や紅葉の時は美しい風景となる。


また、光徳牧場の隣にあるのが光徳温泉の一軒宿の日光アストリアホテルがあり、温泉も有る。
温泉名は光徳温泉となっているが、実は日光湯元温泉からの引き湯であり、お湯は白濁した硫黄泉が掛け流しになっている。

ここは春から秋のシーズン期間中だけでなく、冬もクロスカントリスキーなどで常連客が集まるリゾートホテルである。




一方、ここは小学生などの遠足の目的地となっていて、日光の自然探索のメッカになっている。 

沢山のバスが入り込んでいるこのバスの駐車場から学生、観光客が、周辺を訪れて林間などの教室を持って勉強に励む場所でもある。 

静観の地で、その雰囲気は素晴らしく、遠く聞こえるカッコウの声、轟くヤホーの声、何の一つ取ってもその素晴らしい自然の営みが、満喫できる場所なのである。

また、切込湖-・刈込湖方面の散策ハイキングや三王帽子山、太郎山への登山は、ここから向かう人が多い。

但し、光徳から三王帽子山や太郎山への谷あいを行く、最短直登コースであった「ハガタテコース」は、1999年の夏の集中豪雨で完全崩壊してしまい現在は通行止となっている。



次回、日光の自然 「切込湖、刈込湖コース」








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世界遺産 日光大紀行(102)日光の自然 「戦場ガ原自然研究路コース」





世界遺産 日光大紀行(102)日光の自然 「戦場ガ原自然研究路コース」




https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQr2xU6dW4sJpFIiMgb-eLJoXeu3sIyKAqupNyMymX06dGudcRR




http://yamareco.info/modules/yamareco/include/tmp_imgresize.php?maxsize=800&did=39703&fname=4497d4b05ec5d9bfddcaa9e376c94189.JPG
夏でも静しい木道の道






戦場ガ原を縦断する国道120号線・日本ロマンチック街道の西側にあって、ほぼ平行して付いている。

殆どが湯川に沿ったコースで、湿原の中は木道はよく整備されていて非常に歩きやすく、平坦-なコースである。

それでも、湯の湖の湯滝を起点としたほうが、やや下る気味で、特に長い階段が湯の湖から湯滝と竜頭の滝の2箇所についている。

それに、竜頭の滝周辺の方が、帰りのバス待ちには便利である。
戦場ヶ原の中心部分である湿原地帯の数百m以外は、木立の中を歩くため、真夏でも気持ちよく歩ける。


途中に、泉門池--北の橋付近から光徳入口(1時間)、赤沼分岐~赤沼(10分)の道もある。
コースには湯滝駐車場以外にトイレがない。コース外でいちばん近いトイレは赤沼。
紅葉は10月上旬~中旬。草紅葉は9/下~。


6~9月に湯川のぞくと、バイカモの白い花が咲いている。
戦場ガ原は次第に乾燥化が進み、北のほうからズミやシラカンバが進入して来ているのが判る。 原因は逆川からの土砂流入や、昭和初期のカラマツ植林に伴う排水溝による富栄養化とされている。 

歩道沿いの小さなカラマツは当時の植林の名残である。
戦場ガ原に湯川が屈曲しながら流れているが、原は昔、男体山の噴出物が川をせき止めてできた湖の名残で、その後湿原となったところである。 

湯川沿いに多くの大小の岩石はそのときの噴出物である。




所要時間:2時間35分(順路)、2時間50分(逆路)
距離:6.3キロ
コースタイム ( )は逆路
湯滝入口⇒1時間(1時間10分)⇒泉門池⇒25分(25分)⇒青木橋⇒35分(35分)⇒赤沼分岐⇒15分(15分)⇒シャクナゲ橋⇒20分(25分)⇒竜頭ノ滝

尚、竜頭の滝周辺には滝上、竜頭の滝、菖蒲ヶ浜の3箇所のバス停がある。




次回、日光の自然 「小田代ガ原探勝コース」







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世界遺産 日光大紀行(101)日光の自然 「西ノ湖・千手ガ浜自然探勝コース」




世界遺産 日光大紀行(101)日光の自然 「西ノ湖・千手ガ浜自然探勝コース」




http://www.hanazakura.jp/autumn/nikko/_src/sc2052/hybridbus20rosenzu640.jpg



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2e/Sainoko_201010.jpg/800px-Sainoko_201010.jpg





西ノ湖は遺留湖であるため、水量が季節によってかなり変動する。
水の多い時期や紅葉の時期は特にお勧めで、訪れる人も少なく、大変静かな雰囲気に浸れる。

千手ヶ浜から西ノ湖までは、平坦な道で大変歩きやすくなっており、紅葉の時期はハルニレの大木の中に紅葉の美しいカエデ類が見られ是非歩きたいコースの一つである。



昔は西ノ湖から千手ガ浜にかけても湖の一部だったが、柳沢川などから多量の土砂が入り千手ガ原ができたおされる。 

西ノ湖は完全に埋まらずに残ったもので、このような湖を遺留湖と呼んでいる。
中禅寺湖など、奥日光の湖沼に魚が住むようになったのは、明治6(1873)年にイワナが放流されてからといわれ、現在では中禅寺湖漁協が毎年マス類を放流しており、9月には柳沢川や外山沢川などにマスが遡上-そじょう-するのを見られるという。


一帯にはクマ、ニホンジカが生息しているので、川原やヌカルミ、砂浜で足跡やフンが見られることがある。 閑散な時期は念のため熊よけの鈴などを持参するのもよい。
コース沿いにある大木はミズナラで、中禅寺湖畔に多く見られる。 西ノ湖畔は水位の変動が大きいので、水に強いヤチダモ林が見られる。


出発地点や徒歩方向は事前に調べると良い。
赤沼車庫から、西ノ湖入り口や千手ヶ浜へは低公害バス(一律300円、時間は時期、季節によって変動するので事前確認)が走っているので適度に利用する。 又、千手ヶ浜は遊覧船も利用できる。




所要時間:1時間20分(順路、逆路とも)
距離:3.2キロ
コースタイム (順路、逆路とも)
柳沢川(西ノ湖入口)⇒10分⇒西ノ湖⇒10分⇒柳沢川⇒20分⇒千手ガ浜⇒20分⇒千手堂跡⇒20分⇒千手ガ浜(⇒1時間45分⇒竜頭ノ滝)


次回、日光の自然 「戦場ガ原自然研究路コース」








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世界遺産 日光大紀行(100)日光の自然 「小田代ヶ原の貴婦人」




世界遺産 日光大紀行(100)日光の自然 「小田代ヶ原の貴婦人」




http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/073/02/N000/000/001/135242211748713206587_img_6272.jpg


http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/073/02/N000/000/001/135242208122213103235_img_6269.jpg






この小田代ヶ原には、「小田代原の貴婦人」と呼ばれる1本のダケカンバ(白樺の一種)の巨木な佇まいがある。

以前、NHKのニュースでも取り上げられたことがあったようだが、小田代ヶ原の展望台に、たくさんの三脚が並び、一本の木を狙って写真を撮っている風景は何とも奇妙であり、その奇妙な風景を撮っている写真家(・・?)もいるとか。 
 

小田代ヶ原の貴婦人は、ミズナラと落葉松の木に囲まれた一本の白樺であり、その白い幹が非常に目立つのである。 
そして、変化に富んだ四季それぞれに美しい姿とマッチして、それをねらう沢山のカメラマンが訪れ列をつくるのである。

戦場ヶ原の湿原内を散策するには、全体が木で作られた歩道になっていて、そこから踏み出してはいけないのである。 
なぜなら、一度踏まれた湿地の植物が回復するのには、何年もかかってしまうのである。
また、環境保護のため、小田代原へのマイカー進入は禁止で、ハイブリットバスしか立ち入ることはできない。


四季折々の自然を楽しもうとするハイカー、高山植物と野鳥が豊富で観察や撮影に訪れる人が多い戦場ヶ原だが、近年、草花を食べる鹿が増えすぎたために、花の種類も年々少なくなって来ているといわれ、そのため鹿が入りこまないよう、小田代が原周囲を電気柵で囲んで、その回復を図っているという。
 

さて、戦場ヶ原、及びその周辺のハイキングコースを紹介しておこう。




次回、日光の自然 「西ノ湖・千手ガ浜自然探勝コース」








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世界遺産 日光大紀行(99)日光の自然 「奥日光・小田代ヶ原」





世界遺産 日光大紀行(99)日光の自然 「奥日光・小田代ヶ原






http://homepage2.nifty.com/akebi/info/okuniko/sen01.jpg


https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSP2nLCFZ91OtFDnovqEGE-8i4ICqNGT2AUIDqJDpLdwa5ZD9jbKg


https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRp4xObW9_nEc7Xe-glnji6AAKLAloQBvvGrojqdw6LvAg7eptm




戦場ヶ原の東、湯川より西側のやや高目の湿原を「小田代ヶ原」といって、戦場ヶ原とは一線をかしているようだ。


小田代ヶ原の名前の由来は、隣の戦場ヶ原と較べると小さな「田代」、湿地、湿原という意味から付けられたと言われている。 
現在は乾燥化が進み湿原と言うより、草原という方が適しているようになっている。

だが、殆んど草原化した小田代ヶ原に、数年に一度、幻の湖「小田代湖」が誕生することがあるという。

長雨や大雨の後、南部に水がたまり「小田代湖」が出現する事があり、数日から長いときには数ヶ月続くことがありようだ。



周辺は、東側が戦場ヶ原、北側から西側が外山山麓、南側が高山山麓となっており、おおむね北 - 西 - 南の三面を山に囲まれ、唯一開けた東側も土地が隆起し広葉樹のミズナラが茂って戦場ヶ原と隔てている。

植物相は、アヤメやニッコウアザミなどの野草に混じって、ノハナショウブなどの湿地性植物も見られる。

小田代ヶ原は、こうした特徴的な地形に起因する多様な植生を有することから、日光国立公園の特別保護地域および特別地域に指定され保護されている。

さらに、近年の世界的な情勢から、2001年(平成13年)12月には環境省の日本の重要湿地500にも選定され、またその後の2005年(平成17年)には域内の44.72ヘクタールがラムサール条約湿地に登録され、他の湿地等とともに、国際的な保護体制が敷かれている。


次回、日光の自然 「小田代ヶ原の貴婦人」








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tag : 奥日光・小田代ヶ原

世界遺産 日光大紀行(98)日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原」(Ⅱ)






世界遺産 日光大紀行(98)日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原」(Ⅱ)



http://image.mapple.net/img/user/00/00/08/71/H0000087166.jpg


http://www.sai59.net/WIDE_WALLPAPER/I1206234085_1280_800.jpg







さて、戦場ヶ原の名前の由来だが、過去の歴史上において大戦(おおいくさ)の戦闘が行われた地域で、果たして、何時の時代に、どのような戦が成されてきたのかと想像をふくらましていたが、実は、神戦伝説「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝説からきているという。
 
チョッと拍子抜けの感であったが、神代の昔、下野の国(栃木県)の男体山の神と上野の国(群馬県)の赤城山の神が領地の問題で戦った。
男体山の神は大蛇、赤城山の神は大百足(むかで)に姿を変えて戦った。
赤城山の神は、男体山の神の助太刀の岩代国(群馬県)の弓の名手、猿丸の射た矢で右目を射抜かれ、戦いは男体山の神の勝利に終わった。
 
この戦いがあったところが、戦場ヶ原。大百足の流した血がたまったのが、赤沼であり、勝負が付いたのが菖蒲ヶ浜であり、勝利を祝ったのが歌ヶ浜と呼ばれるようになったと言われている。
それにしても、神話にも歴史上の事実が含まれていることが多いと思っているので、実際に古代の豪族が土地争いなどしたという事実があったのではないだろうか、だが、この地は神代の住む神聖な地、しかも当時としては人跡疎らな山峡の地、このような所で戦が起こるであろうか・・?。


戦場ヶ原は、その東側を(南から順に)男体山、太郎山、山王帽子山、三岳およびその山麓に囲まれ、西側は(南から順に)小田代ヶ原、外山に面する。地内西縁部にはほぼ南北方向に湯川が流れる。
この湯川に並行するように、赤沼と湯滝の間に戦場ヶ原自然研究路が設置され木道が整備されている。

2001年(平成13年)、環境省日本の重要湿地500に第1基準および第2基準適合の高層湿原および湖沼として湯ノ湖および小田代ヶ原とともに指定を受け、その4年後の2005年11月には、戦場ヶ原のうち174.68ヘクタールの地域が湯ノ湖、湯川、および小田代ヶ原と共に、奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となった。

因みに、ラムサール条約は、湿地の保存に関する国際条約で、水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年に制定され、1975年に発効した条約である。
「ラムサール条約」は、この条約が作成された地であるイランの都市ラムサールにちなむ略称・通称である。


東辺には湿原を貫通して国道120号が通り、その沿線に設置された赤沼自然情報センター、レストハウス三本松茶屋のほか、竜頭の滝、湯滝などが戦場ヶ原ハイキングの拠点となっている。
このうち三本松には展望台が設置されており、戦場ヶ原を東側から展望できる。
また西縁の湯川沿いの自然研究路にも展望台が数箇所備えられ、戦場ヶ原を西側から展望できる。



次回、小田代ヶ原










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世界遺産 日光大紀行(97)日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原」



世界遺産 日光大紀行(97)日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原




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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/b5/39/anonymat_21/folder/515503/img_515503_53077496_0




竜頭の滝の遊歩道を登りつめること15分、直ぐ左に見えてる水量豊かな竜頭の滝は見事で、充分に目を楽しませてくれる。

そして、国道を横断して飛びぬけた所が戦場ヶ原である。
標高1,395メートル、面積400ヘクタールの湿原である。

約1万4千年前、男体山が噴火して湯川が堰き止められ、浅い湖沼だったものが堆積物によって湿原化してできた。
湿原の大部分はカヤ、スゲ(古くは笠・菅笠の材料)とワタスゲなどが生育する中層湿原で、湿原中央部付近にのみヒメミズゴケが群落を作る高層湿原である。



因みに湿原とは、「浅い沼沢地が次第に陸化し、湿原が発生し、湿原はやがて泥炭の堆積などと共に乾燥化し、森林へと遷移、変化する」とされている。

日本の高層湿原の多くは発達しても樹木が侵入することは少なく、樹林へと遷移することは、人為的な水路の掘削などの乾燥化がなければ、湿原は自らの環境形成能力により、次第に発達して面積を広げるのが普通であるとされる。

日本有数の高層湿原である尾瀬ヶ原に置いても、将来は樹木が侵入して森林化するとの見方もあるが、原則的には森林化は起こらないか、起こったとしても相当長い年月(千年、万年単位)が要するとも言われる。



湿原は主に3種に分類され、

低層湿原(Low moor)は、ヨシやガマ類など大型の植物が生育し易い環境の沼沢地で、 周辺からの流入水により養分がゆきわたり涵養される湿原である。

高層湿原(Height moor)は、主として流入水ではなく、雨水により涵養される湿原を高層湿原と呼ぶ。低層湿原において堆積が進行するとやがて周囲よりも盛り上がって、流入水の影響を受けにくくなり、小型の植物しか育成できなくなる。

中層湿原 (Intermediate moor)は、高層湿原と低層湿原の間に位置する移行帯の湿原を呼ぶ。



次回、奥日光・戦場ヶ原(Ⅱ)







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tag : 戦場ヶ原

世界遺産 日光大紀行(96)日光の自然 「紅葉の名所・竜頭の滝」





世界遺産 日光大紀行(96)日光の自然 「紅葉の名所・竜頭の滝」





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湖尻の菖蒲ヶ浜から、いよいよ戦場ヶ原、奥日光の湯元へ向かうことになる。

戦場ヶ原の標高は約1,390m、中禅寺湖の標高が1269メートルであるから、標高差120m
の登ることになる。

国道120号線(ロマンチック街道)は早速、屈曲した上り坂にかかるが、その中程に竜頭の滝があり、展望休憩地がある。



湯元の湯ノ湖から流れ出た湯川が、中禅寺湖に注ぐ手前にあり、男体山噴火による溶岩の上を 210mにわたって流れ落ちる滝で、奥日光三名瀑の一つで、滝壷近くが大きな岩によって二分され、その様子が竜の頭に似ていることからこの名がついたといわれる。

中禅寺湖から100mを一気垂直に流れ落ちる「華厳の滝」とは正反対に、中禅寺湖に向かって落差が凡そ60m、全長は210mの滝が、ザワザワと緩やかに流れ落ちる様は、好対照であるのも見所であろう。


滝は下流側正面の観瀑台から眺めるのがよいと言われるが、東側面には散策路があり、急流状になっている滝を側面から見ることもできる。

嘗ては、上流部の一部を龍雲の滝と呼び分け、滝下流部と区別していた時期もあったという。

竜頭の滝の黒々とした岩壁は、男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものであるとか。

滝の下(しも)に滝見茶屋があって、滝は先ずここから眺めるのが一般的である。 この茶屋の団子と抹茶は美味しいと言われるのは余計ながら、別名を地獄茶屋とも言うらしい・・?。
実は、この茶屋の下流域を、湯川でなく地獄川と称している。
竜頭の滝を流れ下ってきた湯川は、茶屋の右側を流れる地獄沢が湯川と合流し、その地点より下流を湯川でなく地獄川と呼び分けているのである。 
つまり、地獄川は湯川の竜頭の滝より下流部の菖蒲ヶ浜の約500mの区間を指しているようで、地図にも記載されているのである。



さて、この竜頭の滝を観察するには、茶屋の中に入ると早速ながら竜頭の滝を見ることができる。 
そこには、展望台が用意されているのでゆったりできるが、紅葉の時には、ここから写真を撮る人でいっぱいになる。 

滝の右側には遊歩道が付けられていて、滝の下に紹介する地図を見ながら滝の上流まで上るハイクコースを楽しむことが出来る。 


時間に余裕のある方でハイクを兼ねるなら、湖畔のプリンスホテルからホテル裏に出て、中禅寺湖を見ながら竜頭の滝方面へ向かい、滝を見ながら北へ戦場ヶ原の方へ向かうと、疲れを癒されるほど素晴らっしい景観が待ている・・!!。

周辺は、紅葉の時期はこの上なく美しい場所であり、、春の新緑もまた素晴らしく精々しい場所である。


次回、日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原」








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世界遺産 日光大紀行(95)日光の自然 「中禅寺湖の西ノ湖」





世界遺産 日光大紀行(95)日光の自然 「中禅寺湖の西ノ湖」



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http://kan.cool.coocan.jp/intothefield/report/report/2003/0524/pic01.jpg
奥日光・西ノ湖



この一帯は、「千手が原」とも言って西端の西ノ湖と併せて、古くは中禅寺湖と繋がっていたが、柳沢川から流入する土砂の堆積によって湖底の一部が原となり森となったところである。

その「西ノ湖」は、千手ヶ浜よりさらに 2km ほど西に位置する小さな湖であり、かつては中禅寺湖の一部であったが、そこから切り離されてできた遺留湖である。

日光山の開祖である勝道上人により、男体山の登頂成功に伴って中禅寺湖および湯ノ湖とともに発見された。



周囲長約 1.5km、大きさは 東西 600m、南北 450mと、面積1km2 に満たない小さな湖である。
湖の北から西側にかけてはなだらかな斜面の砂浜が広がり、逆に南東側には急傾斜の斜面に樹木が茂る。

西ノ湖からは柳沢川を経て中禅寺湖へと水が流れているが、流入してくる大きな河川は無い。
そのため降水量によっては、湖面が激しく上下するとされている。

時期になると、無公害のバスが赤沼から小田代ヶ原、西の湖(入口)、千手が浜まで通っているので、奥日光の隠れた自然探勝地として静かな人気が有る。

ただ、クリン草の開花時期だけは大いに賑わうようです。






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世界遺産 日光大紀行(94)日光の自然 「中禅寺湖の千手ヶ浜」






世界遺産 日光大紀行(94)日光の自然 「中禅寺湖の千手ヶ浜」





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千手ヶ浜とクリン草





中禅寺湖の西の端にあたり、ミズナラ、ハルニレなどの大木が原生林をなす千手が原の湖岸部で、砂浜の美しいところである。


千手が浜は、「クリンソウ(クリン草)」 が美しく咲き誇る地として知られる。

湯元温泉の庭先、旅館などの入り口には、クリン草が沢山植えられており、宿、ホテルの

入り口を飾っているが、それでも自然に群生している場所はと言えば、この中禅寺湖の西に位置する千手が浜の一帯が一番素晴らしいといわれる。

季節になると順路が示されており、クリン草の名所はこの浜から南へ10分ほど歩いところにあって、ネットで仕切られた中にクリン草の群落が見ることが出来る。




クリンソウ(九輪草)、は、サクラソウ科サクラソウ属の多年草。
山間地の、比較的湿潤な場所に生育し、時に群生する。
高さ50cmほどになり、日本に自生するサクラソウ科の植物のなかでは最も大型である。10~20cmほどの鋸歯を持つ葉のロゼットを作り、花季となる6~8月にその中心から花茎が伸びる。
花は花茎を中心に円状につき、それが数段に重なる姿が仏閣の屋根にある「九輪」に似ていることから名前の由来となっている。
花が大きく美しいため山野草として人気があり、庭に植えられることも多い。



千手ヶ浜は、天候の良い日に行けばここから男体山が大きく展望できる地であり、その他右の対岸には八丁出島の様子、そして、中禅寺湖スカイラインの半月山などの山々が手に取る様に見える。 

この千手が浜は、日光の中禅寺湖周遊汽船に乗れば到着することが出来、又、竜頭の滝の上の赤沼の駐車場から低公害バスを利用して小田代ヶ原を経由して、反対側の千手が浜までバスの旅となる。 


浜の南部に勝道上人が建てたという千手観音堂跡があり、今は名残として石畳や石塔が残る。

普段の千手が浜は、中宮祠方面から船便があり、低公害バスが弓張峠を越え外山沢川を下って来る陸路もあるが戦場ヶ原、菖蒲が浜に比べると観光客も少なく閑静である。

夏季はキャンプ場ができ、浜の奥には大学村もあって賑やかであるが、冬期は静寂で別天地の観がある。


次回、日光の自然 「中禅寺湖の西ノ湖」







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世界遺産 日光大紀行(93)日光の自然 「さかなと森の観察園」





世界遺産 日光大紀行(93)日光の自然 「さかなと森の観察園」



http://nrifs.fra.affrc.go.jp/event/koukai/h21nikko/nikko_map.jpg


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http://www.360navi.com/photo/13tochigi/03chuzenji/08fish/10photo02.jpg




キャンプ場の奥には、「さかなと森の観察園」などの見学ポイントもある。

水産総合研究センターの広報施設で、ここでは研究所の敷地の一部を公開しており,内水面(河川や湖沼など)にすむ「さけ・ます類」について学ぶことが出来る。

園内では、幻のさかなと言われるイトウや、中禅寺湖にしかいないレイクトラウトを始め,様々な種類のさけ・ますの仲間やチョウザメなどが観察でき,さかなたちに餌をやることもできます。


当園で観察できる魚たち:

イトウ,ヤマメ,サクラマス,アマゴ,イワナ,ヒメマス,レインボートラウト(ニジマス),スチールヘッドトラウト,ブルックトラウト(カワマス),ブラウントラウト,ギンザケ(コーホサーモン),レイクトラウト(以上がさけ・ますの仲間),チョウザメ(ベステル種)



また当園は,明治23年(1890)に宮内庁のふ化場として開設されて以来,百年以上の歴史がある施設であり,随所にその面影を残している。




因みに、「イトウ」と言う魚は、サケ目サケ科イトウ属に分類される淡水魚で、別名はイド、チライ、オビラメなど、日本最大の淡水魚として知られており、体長は1mから大きいものでは1.5mに達する。

記録上最大のものでは、1937年(昭和12年)に十勝川でおよそ2.1mのイトウが捕獲されたことがある。
現在、日本では北海道の一部の河川・湖沼にしか生息しておらず、日本以外では樺太、南千島に生息している。
現在、イトウの生息する南限は北海道の尻別川とされているが、尻別川での自然増殖は絶望視されている。



北海道の河川に生息するサケ科の巨大淡水魚は、以前は北海道のほかに東北でもその姿がみられたが、現在では、道北及び道東でしか存在が確認されていないという。

北海道では今でもときおり1メートルを超えるサイズのイトウが釣れたという話を聞くようだが、大きなサイズものは激減しているのが実情なのである。 


食性は、肉食でカエルやネズミや他の魚などを食べているようで、ルアーに食いつくことを夢見て釣り師たちはロッドを振るわけですが、簡単に釣れる魚ではない。

極めて用心深い習性で、人影を見つければすぐに逃げてしまい、そのうえ数も激減しているので、ますます釣れないわけです。
 

この魚が生きていくには、破壊されていない自然環境が必要で、本当の幻の魚になってしまう恐れがあり、絶滅危惧種代表格である。

縄文時代、川の傍のアイヌ人達は、悠々と泳ぎまわるイトウと一緒に生活していたと思うと、ロマンや時代をツクヅク感じるのである。

芥川賞を受賞した作家である「開高 健」は、熱心な釣師としても知られ、釣りに関する作品も多い。 彼は、アラスカでイトウを専門に狙ったことは有名で、専門誌にも紹介されている。
「キャッチアンドリリース」(釣った魚を河に戻す)という思想を広めた人物と言われています。



次回、 「中禅寺湖の千手ヶ浜」






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明治時代の日本・韓国・中国の国情;(明治期の旅行家・イザベラ・バードの実録)




明治時代の日本・韓国・中国の国情;(明治期の旅行家・イザベラ・バードの実録)



http://samidare.jp/bunka/box/bird-syouzouga.JPG

http://g-travel.up.n.seesaa.net/g-travel/image/g-travel-2011-12-27T18:52:39-1.jpg%3Fd%3Da1
日光滞在時のイザベラ・バード





イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)という人は、英国人の女性旅行家・紀行作家です。
生まれたのが1831(文政13)年、亡くなられたのが1904(明治37)年です。

彼女は、江戸~明治期のシナ、朝鮮半島、日本を紀行し、数々の写真とともに、当時の3国の状況を仔細に観察し、述べています。

彼女は、1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜けての旅をしました。

彼女の『日本奥地紀行』では当時の日本を結論的にこう書いている。

『 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイル(1930km)に渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている 』



特に、栃木から鹿沼市へ抜ける日光杉並木を観て、「よく手入れされた麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感した」と綴っています。


また日光で滞在した金谷邸では、その内外に日本の牧歌的生活があると絶賛し、ここに丸々2週間滞在したうえ、日光の景勝地を探訪しています。

日光滞在10日目に訪れた奥日光では、梅雨時の豊かな水と太陽に育まれた植物・・・

コケ、シダ、木々の深緑、そして鮮やかに咲き誇る花々が、中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖を彩る様子を闊達に描写し、惜しみない絶賛を与えています。

街道の終点である湯元では、温泉を訪れている湯治客の様子を詳細に記し、その宿屋が

「たいへん清潔である」と評し、

そして

「ここは埃まみれの人間ではなく、妖精が似合う宿である」とまで形容した。

さらに山形県の赤湯温泉では、置賜地方を「エデンの園」と称え、

その風景を「東洋のアルカディア」と評した。
※アルカディア=ギリシャ神話に出てくる理想の楽園


彼女は、『日本奥地紀行』では当時の日本を次のように書いています。

「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で、日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。」

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。
子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。」

「いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。
子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。」

「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。」

「ほんの昨日のことであったが、革帯一つ、忘れものをしていた。
もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。
彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。」

「彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。」

「日本の大衆は一般に礼儀正しいのだが、例外の子どもが一人いて、私に向かって、中国語の「蕃鬼」(鬼のような外国人)という外国人を侮辱する言葉に似た日本語の悪口を言った。
この子はひどく叱られ、警官がやってきて私に謝罪した。」

「家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇をもってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。
料金をたずねると、少しもいらない、と言い、どうしても受けとらなかった。
彼らは今まで外国人を見たこともなく、少しでも取るようなことがあったら恥ずべきことだ、と言った。」

「吉田は豊かに繁栄して見えるが、沼は貧弱でみじめな姿の部落であった。
しかし、山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。
これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。」

「どこでも警察は人々に対して非常に親切である。
抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。」

「警察の話では、港に2万2千人も他所から来ているという。
しかも祭りに浮かれている3万2千の人々に対し、25人の警官で充分であった。
私はそこを午後3時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。
私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。
どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。」

「私はどこでも見られる人びとの親切さについて話したい。二人の馬子は特に親切であった。
私がこのような奥地に久しく足どめさせられるのではないかと心配して、何とか早く北海道へ渡ろうとしていることを知って、彼らは全力をあげて援助してくれた。
馬から下りるときには私をていねいに持ち上げてくれたり、馬に乗るときは背中を踏み台にしてくれた。
あるいは両手にいっぱい野苺を持ってきてくれた。それはいやな薬の臭いがしたが、折角なので食べた。」

「私の宿料は《伊藤の分も入れて》一日で三シリングもかからない。
どこの宿でも、私が気持ちよく泊れるようにと、心から願っている。
日本人でさえも大きな街道筋を旅するのに、そこから離れた小さな粗末な部落にしばしば宿泊したことを考慮すると、宿泊の設備は、蚤と悪臭を除けば、驚くべきほど優秀であった。
世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に比較できるようなものはあるまいと思われる。」

「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったり融けあう。
彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけて感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」

「しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。このように礼儀正しく心のやさしい人びとに対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。」

「伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、というのである。こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

バードは、朝鮮を1894年に訪問しています。
釜山、ソウルに滞在した後、漢江流域を踏査し元山へ、そして同年11~12月にはロシア領内の朝鮮人社会を視察した。
そこで「朝鮮奥地紀行」を著します。
当時の朝鮮は、日本が統治する以前、李氏朝鮮末期の時代にあたります。

「朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。」

「政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。」

「私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた。
大都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。」


「礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた”、主として迷路のような路地で暮らしている。
その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。」

「ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。
公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。
劇場も無い。
ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。
ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。
一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている。」

「ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、2時間か3時間ぶらついていた。
その小道が淋しい所かまたは村に通じていようがいまいが、私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。
そしてそれは、主として女性によるものであった。」

「その肩に税の重荷が掛かっている人びと、つまり特権を持たない厖大な大衆が、両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
両班は代金を支払わないで、人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。」

「女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
私の衣服を調べた。
ヘアピンを抜いた。
髪を引き下ろした。
スリッパを脱がした。
自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。
私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。」

「長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。
日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。」

「朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓と考え、その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。」

「私は出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた。
朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と感じた。」

「もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、役人がその貸与を要求する。
仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。
もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。
そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。」
(これって、いまの日本?!)

「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。」

「朝鮮の大きくて普遍的な災難は、大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。
それを恥としないし、非難する世論も無い。
少ないけれども一定の収入がある人は、多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。」

「1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。
1、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
2、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

バードは1895年12月に上海に渡ります。
上海から揚子江を万県まで遡り、さらに陸路を保寧府、成都まで進んだ。
彼女は、中国社会の活力と公正さを高く評価しるけれど、それは“最悪”の朝鮮社会を見た直後だったからかもしれない。

「中国人は無学であるし、信じがたいほど迷信深い。だが、概していえば、いろいろな欠点はあるにしろ、ひたむきさという点では他の東洋民族にはないものがあるように思われる。」

「〈文人階級〉の多くの人々の無知さ加減はひどい。
それは宿坊での会話の中にとめどもなく現われてくる。
軍のある高官は、劉を頭とする黒旗軍が台湾から日本人を駆逐したとか、劉が神々に誓った誓いと祈りが功を奏して台湾海峡が大きく口を開いたとか、ロシア、イギリス、フランス、日本の海軍が戦渦に広く巻き込まれ、やられてしまったとか言って憚らなかった」

「中国で仁が重んじられているという印象は日常生活からはさほど受けない。
中国人の性格に関するこの国での一般的な見解は、冷酷、残忍、無慈悲で、徹底して利己的であり、他人の不幸に対して無関心であるというものである。」

「彼女たちの質問はまことに軽薄だったし、好奇心は異常なまでに知性を欠いていた。
この点で日本人の質問とは好対照だった。
ここには、していることに目新しさも多様さもなく、食べることと書くことだけをしている人間を何時間にもわたってジロジロ見ることに費やすという、大人としての異常なまでの無神経さが見てとれた。」

「群集はどんどん増え、囃し立てたり怒鳴ったりして、どんどんやかましくなった。
口々に『洋鬼子』、『外国の悪魔』とか『吃孩子(子供食い)』と叫ぶ声がどんどん大きくなり、怒号と化していくのがわかった。
狭い通りはほとんど通れなくなった。
私が乗った車は、何度も何度も棒で叩かれた。
泥や嫌な臭いのするものが飛んできて命中した。
ほかの連中よりも大胆なのか臆病なのかわからないが、一人の身なりのよい男が私の胸を斜めに強打した。
叩かれたところはみみず腫れになった。
後ろから両肩を強打する連中もいた。
わめく輩は最悪だった。
激昂した中国の暴徒だった。」

「信じられないような汚さ、古期英語を用いないと表せないようなひどい悪臭、薄汚なさ、希望のなさ、騒がしさ、商売、そして耳障りな騒音は中国の都市に共通する特徴である」

「中国の町のごろつき連中は、無作法で、野蛮で、下品で、横柄で、自惚れが強く、卑劣で、その無知さ加減は筆舌に尽くせない。
そして、表現することも信じることもできないような不潔さの下に暮らしている。
その汚さといったら想像を絶するし、その悪臭を言い表せる言葉は存在しない。
そんな連中が日本人を、何と『野蛮な小人』と呼ぶのである!」

「トルコやペルシャ、カシミール、朝鮮を、私のように数年にわたって旅したことがある人なら、中国の人々が虐げられた国民などではさらさらないことがわかって驚くことになる。
また、現制度下にあってさえ、賄賂はあるものの税は軽く、働けば金になり、理にかなった自由もかなりあることがわかって驚くことになる。」

「大勢の薄汚い役人が何もせずにぶらぶらしているといったことはなかった。この点は朝鮮とは異なっていた。」

「飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎や轎かきに当たったし、私の帽子にも当たって帽子が飛ばされてしまった。
『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。
石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。
そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」

「病気の苦力は木の下に横たえられた。
そこで私はその男の燃えるような額に濡れたハンカチを当ててやった。
その時、中国人の潜在的な残虐性が現われた。
あの実に愛らしい創造物である観音が広く崇拝されているのに、この連中には何の感化も及ぼしていないことがわかった。
何も運んでいない苦力が5人いたので、一匹のラバの荷物を5人で分け合い、病気の男をラバに乗せるように提案してみたけれど、拒絶したのである!
この12日間、寝食をともにしてきた男なのに、である。
しかも、お前達はこの男をここに置き去りにして死なせるつもりかと尋ねると、彼らはせせら笑いながら、『死なせればいい。もう何の役にも立ちませんぜ』とのたまった。
病気の男が懇願した水が目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうとさえしなかった。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後に、ペリー提督の日本評をひとつ。

「日本人は自分の祖国に対しては感激家で、先祖の偉業を誇りとしている。

教養ある人も普通の人も天皇の古い皇統に対し限りない愛情を抱き、古い信仰や風俗習慣を重んじる。

それゆえ外国人が、日本人の民族性に追従し、彼らの宗教や風俗習慣を尊重し、そして原始時代の伝統や神として崇められた英雄の賛美に好意をもって耳をかたむける。」


≪おまけ≫
「日本人は笑い上戸で、心の底まで陽気である。
日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。」
(仏人、ボーヴォワル)



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