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東北紀行(13)いわき湯本 「徳一と藤原氏」





 東北紀行(13)いわき湯本 「徳一と藤原氏」   、


前回まで大和地方における長谷寺、三輪山、大和の国、そして大和朝廷の来歴を述べてきた

ここで、「藤原氏」が登場する・・!。
これら大和朝廷及び天皇家を擁護し、画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。 製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。 
「旧秩序」、「旧勢力」、「旧豪族」を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。


常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。 
香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心である。
藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。 
この地、鹿島は中臣(藤原)氏の本流の地で、海人族であったとも言われる。
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。 
武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。

余談ながら奇縁として・・、
大和・三輪山の麓に「相撲神社」が鎮座している。
この神社は日本大相撲の発祥地とされていて、かっての大横綱の大鵬と柏戸がやって来て、土俵入りをしたこともあるという。
昔々、この地に力自慢・當麻蹶速(タイマノケハヤ)がいて、もっと強力な者と命がけで力比べをしたいと言っていた。 早速、垂仁天皇は出雲の国の野見宿禰(ノミノスクネ)を探し出し、二人による我が国初の天覧相撲がこの地で催されたという。
試合の結果は野見宿禰の圧勝に終わったとされている。


藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。
大化の改新」以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名である。 その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。 
不比等は、大宝律令の選修に参加、養老律令を完成し、又、日本書紀の成立を主導し、平城京遷都に際して興福寺を建立するなど、今の「日本国」を創った人、日本という国家の礎を築いた人物として知られる。
その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。 
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。

徳一は「藤原徳一」であり、徳一自身は意識したか、しないかは別として、間違いなく大政治家の極く身近な直系の存在であった。 
しかし、直接政治には関わらず、仏門に身を置き、陰ながら藤原一門として、旧来勢力の打破、律令国家の成立の一助として、宗教を礎とした文化的な面で活躍したと思われる。

石城地方の隣の常陸の国は、奇しくも藤原家発祥の地でもある。 
常陸国は以降の時代を観ても判るが、慌しく戦乱武将が発生し、駆け巡った地でもあった。 
つまりは、早くから開けていたというより、大和朝廷の側面の発祥の地でもある。
ところが、古代、蝦夷地といわれた陸奥の国は、石城の地・「勿来の関」あたりで常陸の勢力圏とは暫くは途絶えていたともされる。
「なこそ」とは、古語における「禁止」の意味で、現代語では「来るな」という意味だそうである。 古代、奈良期に蝦夷の南下を防ぐ目的で設置されたとする説もある。


九州から畿内へ、更に中部、関東と大和朝廷の新勢力が広がって、いよいよ陸奥の国の開拓に差し掛かるのであるが、この時、精神的革新を試み、自ずから蝦夷の地に乗り込んだのが「徳一」であった。 道具は武器でなく、仏教と言う新しい文化を引っさげて乗り込んできたのである。
仏教の普及が、古代からの信仰(主に自然信仰)と結びつくのはごく自然の流れでもあり、「神仏習合」という利便性と説得性のある手段が活躍したのは言うまでもない。
藤原徳一」が先ず根拠にしたのが自家発祥の常陸の国・筑波山であり、又、蝦夷の進出地とされる陸奥の南端では西の街道の会津地方であり、東の街道が「石城地方」であったのである。

徳一は、筑波山に中禅寺を、磐梯山に恵日寺を、そして「石城」には湯の岳山麓に長谷寺を置いて根本道場としたのである。 
その時、藤原家の相当なる経済的政治的な側面援助があったことは言をまたない。 
徳一は、藤原家の活躍地である大和の国・三輪山を念頭に、筑波山や磐梯山を開き、石城に「湯の岳」を開いたのである。 
領民のために、大和の三輪山を紹介して「サハコ神社」(温泉神社)を造らせたのかもしれない。

次回、いわき湯本の長谷寺



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