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東北紀行(88)山形 「戦国武将・最上義光」

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『東日本大震災』に遭われだ被災者の皆さん、「東北人魂」で一日(いじんち)も早い復興さ祈っからね。
全国の皆んな・・!!、東北は「自然、観光名所、温泉、祭」と見所が一杯有るだよ。 G・Wは「東北地方」さ、旅行にでかけっぺ。
東北・いわき出身の小生




 東北紀行(88)山形 「戦国武将・最上義光」   、




霞城跡(山形城址)と最上義光像



山形周辺は観光のメッカで、北の出羽三山から西の面白山高原から蔵王連峰、それに山寺の立石寺など全国的にも名が知られている。 

そして市内では戦国武将・最上義光に縁のある東北一の規模とされる木造建造物の専称寺や最上義光記念館、大正時代の洋風建築で旧県庁舎の文翔館、旧済生館本館など、そして何より山形の歴史を彩った霞城跡(山形城址)などが見所であろう。

霞城跡は山形駅のすぐ北側、奥羽本線の線路際にお城の大きさは約70万坪という
広大な敷地を抱き、現在は「霞城公園」として市民に親しまれている。
御城は戦国期の最上義光の時代に造られたという。 


元々、山形城と呼ばれていたが、別名「霞城」と呼ばれるようになった理由は、関ヶ原の合戦の頃、奥羽の関が原といわれた上杉・最上氏の戦いにおいて、直江兼続(上杉軍)が麓からお城を十日間見てたが霞がかかって何も見えなかったことから付けれたとも云われる。


山形城は、かっては本丸・二の丸・三の丸と城の主要な機能が配置されていたが、今はその殆んどが失われていて跡地を残すのみとなっている。 
現在、設計資料などを基に復元や復元する計画が実行されつつあると言うが・・!。



最上義光は最盛期には、東北では伊達政宗に並ぶ名将とされている。 
ただ、戦国武将としては余りに有名な伊達政宗の影に隠れてはいるが、実は、正宗は母方の関係で義光の甥にあたり、つまり伊達政宗の伯父がこの最上義光であることから、両者は親戚関係でもある。

関ヶ原の戦いに先立って、米沢城の上杉景勝の命を受けて直江兼続を最上義光の長谷堂城(山形県山形市大字長谷堂)に侵攻させるが、義光はこれを迎え撃ち、関ヶ原の戦いで西軍が敗退すると、今度は退却する直江兼続を追撃し戦功を上げている。
この戦果により最上家は出羽57万石の大領大名になり、本城としての山形城の改築、整備を開始している。


義光は、平城では日本最大級の広さを持つ山形城の拡張や城下町の建設、新田開発や社寺仏閣の造営など多くの実績を上げ、実石高は100万石とも200万石とも言われたとする。 
無論、義光が行った領国経営は、主城をもつ中心地の山形の町づくりをも積極的に行い、これが現在の山形市街地の基礎となっている。

しかし義光が死去すると家督争いが激化し、元和八年(1622)義光の孫・義俊の代に内紛理由で所領を没収され、近江に移されて一万石となりすっかり寂れてしまった。 
そして、江戸期には戦国の東北の覇者・最上家は衰退、消滅してしまうのである。
最上家は、家督相続やお家騒動に厳しい、徳川政権の犠牲になったとされる見方もある。

次回、「蔵王



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東北紀行(87)山形 「私事の山形」

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東北紀行(87)山形 「私事の山形」 ,



そして、山形市である。
山形」は小生の実家、というより生母の故郷であった。
其の本宅は山形市よりの西部地区、朝日山系の北の麓、朝日町の三中という山の中である。 

今は車の時代なので然したる苦労も無さそうであるが、小生が幼少の頃の記憶である戦中から戦後にかけては、実に田舎中の田舎、山中深く入り込んだところにあった。
当時、山形駅から左沢(あてらざわ)線に乗り換え、終着の左沢駅からバスで1時間ほどかかり、更に、徒歩で少1時間ぐらいは掛かったと記憶している。


私事であるが・・・、
親父が満州の「南満州鉄道」へ就職し赴任したのは昭和12年の頃であろうか・・?、その後、小生は昭和14年に満州・奉天(今の中国・瀋陽)で出生している。 

満鉄職員ということで、比較的安楽で普通以上の生活をしてたらしく、中国人やロシア人を家へ招いては茶会や麻雀などを楽しんでいたようである。

小生が物心ついた小学生入学当初、この頃から戦争の影響が次第に生活の中にも入り込むようになり、灯火管制など電灯に黒幕を被せて部屋を暗くして静かにしていたり、非常時の場合に備えて非常用具や防空頭巾などが手元に有ったのを覚えている。 
そして、この時期に不幸にも実母と妹を病(結核)で亡くしているのである。 


警戒警報や空襲警報が盛んに発令されるようになって、当時、鉄筋コンクリートの三階建ての官舎に住んでいた我々も、遂に地下の防空施設に避難するようになった。
それから後、間もなく日本は終戦を迎えることになる。 

だが、ある日突然、予想もしないことがおこった。 親父が「ソ連が攻めてきたらしい・・!」といって官舎の人全員に呼びかけ、取るものも取り合えず駅まで誘導し、我らも防空頭巾を被って貨物列車に乗り込んだ。 

後は、奉天駅から釜山(ふざん・プーサン)へ来たことは覚えているが、途中の長い道程(みちのり)は記憶が無い。
 

親父が満鉄職員ということもあり、奉天から朝鮮半島を経て釜山へは重要幹線ということもあって、比較的容易に来れたようである。 
因みに、親父の満鉄での業務は、旅客関係ではなく保安・保線関係の仕事であったため、比較的早めに解放されたらしい。 

奉天~釜山は、概ね東京から下関の距離で凡そ1100kmある。
釜山からは貨物船に乗せられて(載せられて)舞鶴に向かったのであるが、船中の居場所は船底の貨物室で、人々はごった返し、筵(むしろ)の上に居たのを記憶している。 
小生、6歳の時分であった・・!!。


因みに、満州とは・・、
大陸、特に中国東北部を、戦中は通称・「満州」(満州国・日本の傀儡政権国家ともいわれる)と呼んでいた。
1931年(昭和6年)に勃発した満州事変を契機に日本が占領し、翌1932年から1945年までは日本による傀儡国家(かいらいこっか)・満州国が建国された。 

満州国は、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ:映画、「ラストエンペラー」で知られる)が13年の間にわたって元首としていたが、1945年8月、第2次世界大戦終結直後にソ連軍が満州に侵攻、日本の敗戦と同時に消滅している。 
尚、翌年の1946年には、ソ連は占領した満州地域は中華民国(現、中国)に外満州を除いて返還している。


満州国建国当時、南満州鉄道(満鉄)は満州国が成立すると、日本から朝鮮半島、中国大陸へ向かう需要が急増していた。 
東京、大阪方面からは主要幹線である東海道本線、山陽本線が其々の地方を経由しながら下関まで行き、関釜連絡船で玄界灘を渡って釜山へ、更にそこから朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)・南満州鉄道(満鉄)へと乗り継ぐルートが最速であり、これを弾丸列車と称していた。 
中国大陸・満州へは、奉天から新京(現長春)、大連、旅順などを結んでいた。


さて、山形のことであるが・・、
終戦後の本土帰還から直ぐに山形の母の実家を訪ねているが、其の後も用事で2,3度尋ねたことを記憶している。 
朝早く福島のいわき湯本を出発、凡そ1日がかりで到着するという遠方であった。 
とにかく山の中で、生活は養蚕や家畜を飼って支えていたようである。 

それ以来、両親が亡くなるまでご無沙汰してしまったが、物心つき、山形の観光を兼ねて車でお邪魔したのを、懐かしく思い起こされるのである。 

次回、「戦国武将・最上義光




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東北紀行(86)天童 「将棋の駒」

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 東北紀行(86)天童 「将棋の駒」 



銀山温泉を後にして、この後、「蔵王」へ向かう。
山形蔵王は、先ず巨大なスキー場群と温泉がセットになっているのが人気で、東北地方ではその規模は最大級を誇る。 
スキーを楽しむ小生、家族等は、温泉街に会社直営の保養所もあって何回か訪ねたことがある。 

又、山形蔵王はスキーと温泉の他にも見るべき観光地も多く、春、夏シーズンはトレッキング、秋の紅葉が楽しめ、特に、蔵王エコーラインやその周辺の坊平、お釜、、刈田岳など見所は多い。
今回は蔵王の露天風呂とエコーラインのお釜を訪ねることにした。



羽州街道・国道13号線を南下する。
天童市内を走っていると、やたらと将棋駒を形どったオブジェが見れる。 ご存知、天童は将棋駒の生産地として著名である。 
将棋や囲碁に興味のある小生にとっては、些か、親近感を覚える地でもある。


天童市は駒の産地としての他にも、将棋に関する様々な催し事がある。
将棋フェスティバルや人間将棋、各種将棋大会もあり、特に、プロ将棋の公式棋戦、数々のタイトル戦も時折行われ、名人戦や竜王戦など幾多の名勝負が繰り広げられてきた。 
有名な羽生善治名人や渡辺 明竜王など多数来童しているという。


天童市は山形市の北に位置し、何と全国の将棋駒の約90%以上を生産するという。 
元はといえば江戸末期、天童藩の下級家臣の生活難の救済策に内職として始まったのが最初と言われている。 
当時、家老であった吉田家から伝わったとする資料も残っているらしい。


幕末当時は大方の藩がそうであったが天童藩も同様で、飢饉などによる税収減で困窮にあえいでおり、年貢の前借や藩士の減給、特産品である紅花の専売制を試みるも財政状況の改善には至らなかった。 
特に下級藩士の生活は苦しく、家老・吉田大八(守隆)はその救済策として将棋駒作りの指導者を米沢藩から招聘し、将棋駒の内職を奨励したとされる。

藩の内部には武士が内職を行うことに批判的な勢力もいたが、守隆は将棋が用兵の技量を育成するのに適した遊戯であり、その駒をつくることは武士の本分には外れないと擁護したと伝わる。 
この将棋駒の製造は明治時代以降も続けられ、後には全国生産量の殆どを占める天童の特産品へと繋がった。


当初の天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主であったという。
明治時代中期には東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになり、また木地は機械で揃ったものが作られるようになって現在に至っている。
1996年、天童の将棋駒は伝統工芸品に指定された。

尚、将棋の駒で最も古いものは奈良県の興福寺から発掘されたものとされ、駒と同時に「天喜六年(1058年)」と記された冊子本が出土しており、駒の製作時期が11世紀頃であることがほぼ断定されている。

次回、山形





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東北紀行(75)尾花沢 「花笠音頭」



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 東北紀行(75)尾花沢 「花笠音頭」   、




花笠音頭』 山形県民謡

目出度目出度の 若松様よ
枝も チョイチョイ
栄えて葉も茂る
ハァ ヤッショマカショ

花の山形 紅葉の天童 
雪をながむる 尾花沢 
アーヤッショウマカショ

揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた
秋の チョイチョイ
出穂よりまだ揃ろた
ハァ ヤッショマカショ

おらが在所ヘ 来てみてしゃんせ
米の チョイチョイ
なる木がおじぎする
ハァ ヤッショマカショ


ご存知、「花笠音頭」で歌われている尾花沢は、この歌の発祥地らしい。

市街地の東の地に人工湖でもある美しい「徳良湖」というのがある。 
大正時代にこの池を造作するための大規模な土木工事(灌漑用用水池工事)が行われ、その際に唄われた土搗き唄が「花笠音頭」の発祥とされている。 
そして、音頭に合わせて踊る「花笠踊り」は、工夫たちが「日よけ、雨よけ」のために被っていた笠を利用し、当時の作業の様子を取り入れたものといわれる。



この徳良湖の先、尾花沢市街地の東南凡そ5kmのところに「延沢」という丘陵地があり、延沢城という城跡がある。 
標高300mほどの丘陵の上に連郭式の山城があり、戦国期の天文年間に築かれたとされ代々「延沢氏」の居城となっていたという。 
因みに、この城跡は国の指定史跡でもあるらしい。

今にいたる尾花沢市の発展は、戦国時代に延沢氏という士族がこの地方を領し、併せて「延沢銀山」という銀鉱を開拓、産出し支配したことに始まるといわれる。 


延沢城から銀山までは真東の山中で、距離にして僅か5kmのところに位置している。
延沢銀山は、現在は「銀山温泉」という有名な温泉地となっているが、銀鉱山も往時を偲ばせる史跡が残されているという。 

そして、ご存知、銀山温泉は大正ロマンを引き立たせる木造の高層建物群が並ぶ優雅な地域で、温泉と併せて全国的にも有名になっている。 

無論、NHK朝の大河小説「おしん」でこの地が登場したことにもよるが。

次回、 「銀山温泉」


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東北紀行(74)新庄 「山形民謡の古里」

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 東北紀行(74)新庄 「山形民謡の古里」  ,



そして、真室川の直ぐ南が新庄である。 

先ずは、民謡をどうぞ・・!


新庄節」  山形民謡

ハアー(ハッ キッタサ)
あの山高くて 新庄が見えぬ(ハッ キッタサ)
新庄恋しいや 山憎や(ハッ キッタサ)  
※お囃子は以下同じ

ハアー
猿羽根山(さばねやま)越え 舟形越えて
逢いに来たぞや 万場町へ

ハアー
どうせ住むなら 最上の新庄
人に実もある 花もある

東雲の東雲の夜明けの頃に 雀がチュンチュン カラスがカアカア
お空に鳶(とんび)が ヒョウロヒョロ
して又お寺の 金木魚(かねもくぎょ) スコポーン スコポン コポンコと
鳴らぬうちゃ 帰さりょうか


いやー、実に愉快な民謡である。
あの山高うて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や
これも酒席での騒ぎながら歌う唄で、甚句(七・七・七・五の4句から成る踊り)の一種、野暮で小粋で、そして哀切な味わいがいい。


新庄は歌のように、南に神室連峰の陣ヶ峰、大森山、杢蔵山、八森山の美しい山々が見渡せ、この他にも遠く鳥海山、月山、葉山を眺めることが出来る。


新庄は「戸沢氏」が江戸期より明治維新まで治めた城下町である。
角館の武家屋敷の項でも記したとおり、元より戸沢氏は戦国期まで角館の城主であったが、芦名家そして佐竹北家が入城する直前に新庄(一時、常陸国松岡;現在の茨城県高萩市へ移封されている)へ移ってきたのであった。
この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。


江戸時代を通じて戸沢氏は領国経営に熱心であり、多くの飢饉を乗り越えて石高4万石を実石6万石にまで増やすことに成功する。
新庄祭」で歌われる民謡・新庄囃子には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句もあり、祭は「東北三大山車祭」の一つで毎年40万人を越える人出があることで有名だそうである。
江戸中期の大凶作に喘いだ新庄藩が領民に活気と希望を持たせると共に豊作祈願をするため氏神の天満宮で大祭典を行ったことに始まるという。


戸沢氏は桓武平氏の流れをくむ名家で、出羽国角館に移動して以来、一族が集結して新体制を敷き、戦国大名としてのスタートを切った。
江戸時代には新庄藩主として明治維新にまで到っている。

羽州街道の宿場町でもあり、磐根街道(現、国道47号)」が開削される明治時代初頭までは庄内町清川まで道路がなかったため、市西部の本合海集落は最上川水運の主要積出港であった。 
この頃、最上川舟歌の元歌が唄われていたのかもしれない。 
現在の舟歌は昭和期になってからのアレンジらしいが・・?。


現在の新庄市は、最上地方の一極集中型であるという。 
位置的に南北の交通と東西の交通が交わる要衝で道路網では国道13号と国道47号が交差し、鉄道では奥羽本線が南北に縦断し陸羽西線と陸羽東線が東西に横断する。
また山形新幹線の終点でもある。

地理的な特性から最上郡全体からの交通路も新庄市内に集中する構造になっており、は新庄市は最上郡の消費活動全体を支えていると言える。


山形県には他にも良い民謡がたくさん有るが、たとえば、市内を流れる「最上川舟唄」、「庄内おばこ」、「酒田甚句」、そして「花笠音頭」である。
その花笠音頭の古里、尾花沢、そして銀山温泉へ向かう。

次回、「尾花沢


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